植樹会活動再考―「ボランティアの社会学」から / 学生理事 石倉愛美(社会学部4年)

今年度より学生理事副代表を務めております、社会学部4年の石倉愛美と申します。今後ともよろしくお願いいたします。

毎月当たり前のようにキャンパスの整備に関わっておりますが、今回の寄稿文では初心に立ち返り、植樹会そのものを取り上げたいと思います。植樹会の活動について、自分の研究テーマを交えながら考えました。

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はじめに、みなさんが「ボランティア」と聞いてはじめに思い浮かべるのはどのような人ですか?ここでのボランティアの定義は、「自身の労力や時間を無償で提供すること」とします。

かつてのボランティア活動の多くは、「助けを必要としている人」と「助けの手を差しのべる人」という2種類の人間が関わりあう構造となっており、この構造は固定概念化しつつありました。わかりやすく言えば、「する―される」関係です。「する」者と「される」者は完全に分断され、見えない境界線を踏み越えない範囲での、平面的なコミュニケーションがなされます。

しかし、最近のボランティア活動はこのような枠組みにとらわれないのです。「する―される」関係を超えた関わり合いが、今重要視されています。例を挙げれば、東日本大震災の被災者同士で市民団体を立ち上げ復興を目指す「内側からの復興」が良い例でしょう。また、「支援をしようと思って被災地に赴いたが、逆に被災者の方々から元気をもらってしまった」といったエピソードも、「する―される」関係の倒錯と考えることができます。

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植樹会活動は、言うまでもなく無償の活動です。それにも関わらず、植樹会に多くの人が関心を持ち、参加者が途絶えることはありません。その理由の一つとしては、「大学のためにキャンパスを整備してあげる」「母校に恩返しをする」といったような単純な構造を植樹会は持ちあわせていないからだと私は考えています。もちろん参加のきっかけが「恩返し」だった先輩も多いとは思いますが、参加を通して植樹会の別の魅力に気付いたのではないでしょうか?

「する―される」関係を超えた立体的なコミュニケーション環境が、植樹会の中には存在します。様々な立場の人間が、対等な立場で重層的な関わりを持つことができる枠組み。これこそが植樹会の魅力だと私は考えます。