追悼文「田中政彦氏を偲ぶ」 福嶋 司様(一橋植樹会顧問・東京農工大学名誉教授):如水会会報2024年10月号植樹会通信より転載

東京農工大学名誉教授 福嶋 司

われらが敬愛する田中政彦氏が2024年7月15日に亡くなった。88歳であった。訃報に接した夜、献杯して、ご一緒した日々のことを寂しく懐かしみ一人飲んだ。
2003年、石弘光学長から直筆の一通の手紙をいただいた。内容はキャンパスの緑の管理についての相談であった。後日、石学長にお会いした。その時に同席されたのは、学長に私を紹介してくれた田崎宣義教授と翌年植樹会会長になった岸田登氏と副会長になった田中政彦氏であった。この時が田中氏との最初の出会いであった。この学長との懇談会以降、田中氏を中心に植樹会メンバーと何度かキャンパスの緑の現状を観察した。そして、皆でキャンパスの具体的な緑の管理計画「一橋大学国立キャンパス緑地基本計画」を作成した。その内容は、一橋から国立へ移転してきた時に先人が計画した緑の配置を尊重し、それを機能別に区分し、それぞれのタイプの管理のあり方を提案したものであった。
以降、その計画をもとに、卒業生 、学生、教職員が参加した全国の大学で例のない体制での定例作業を行ってきた。そして、その作業の中心にはいつも田中氏がいた。活動の当初は作業道具が揃っていなかった。田中氏は、作業日には重い作業道具を持って千葉から2時間以上かけて通い、生き生きとした姿で作業していた。図書館の前に広がる中央庭園には大きく成長したツツジがある。管理作業を開始した20年前のツツジはツルに覆われ、枝の一部が枯れていた。そのツルを丁寧に取り除き、枯れた枝に鋏を入れ、姿を整えたのが田中氏であった。また、ある時には芝生に座り込み、侵入した植物を黙々と除去する田中氏の姿があった。
なぜ、それほど庭園の管理にこだわったのであろうか。千葉のお宅に伺った時にそれを納得した。庭にはよく手入れされた樹木と広い芝生地が広がっており、時間ができるといつも芝生地に出て草取り作業をしていたという。片方の手は指を曲げて地面につき、片方の手で草を抜く。そのため、田中氏の手の指の関節には硬い「タコ」ができていた。その指に植物を愛し、物事に一途に取り組む田中氏の姿をみた。田中氏は常に穏やかでユーモアのある人であった。作業後の懇親会で、キャンパスの緑への想いを熱く語った田中氏の姿も懐かしい。田中氏は妥協を嫌い、誠実に自分の道を求めた品格ある紳士であった。もうお会いできないと思うと寂しく、悔しい。
田中氏との素晴らしい思い出を心に留め、改めて田中氏のご冥福をお祈りしたい。