「兼松講堂で気になる部分」社会学部4年 中村常葉

私は最近学校に行くことも少なく、学校の自然に関係のある話をしようと考えても何も思い付かなかった。こんなに何も浮かばないとは思わなかった。そのため、自然の話ではないが、ずっと気になっている兼松講堂のある部分について話をしようと思う。私は兼松講堂の避雷針がとても気になる。まだ人生が輝いていた一年生の頃から気になっている。最初、見間違いかと思ってしまった。なぜあんな風にピヨッと生えているのだろうか。立派なロマネスク調?の建築物とのあのアンバランスさ。あのアンバランスさに目をつむってでも作るほどの価値が避雷針にはあるのだろうか。そもそも雷なんてそんなに特定の建物に落ちてくるものではあるまい。自意識過剰ではないか。建築に造詣が深くないので誰か解説お願いします。

そういえば昔、避雷針を発明したフランクリンの伝記マンガを読んだことがある。確か小学生時代に購読させてもらっていた「こどもの科学」の付録マンガだった。正直内容はほとんど覚えていないが、フランクリンがもさもさパーマの長髪でかかれていたことだけ記憶している。昔はもさもさの天パがおしゃれだったなら、いつか私の天然パーマも評価される日がくるだろう。流行は回るものなのだから。きっとくる栄光を信じて、今は縮毛矯正を続けたいと思う。

とはいえ、私はあの避雷針がけっこう好きである。あの本体と不釣り合いに、しかしまっすぐに立っている姿に潔さを感じるのだ。実物はどうなのか知らないが、地面からは本当にこの上なくまっすぐに見える。疲れているときには思わず「あの避雷針にささりたい」と口走ってしまうほどだ。それに対する「横向きでささるより縦にささったほうが安定するよね」という友達の返答は秀逸だった。縦にささるというのは、串にささったうずらの丸焼きを想像してもらえればイメージがつくだろう。なんてサイコパスじみた返答かと思うが、私はそのような返答を導き出す彼女の独特の感性がとても好きである。

何が言いたいかと言うと、私は兼松講堂の上に立つ避雷針が気になっており、そしてかなり気に入っているということである。私もあの避雷針のように生きたいものだ。いつか私がしわくちゃのおばあちゃんになって一橋大学を訪れるその日まで、あの避雷針が残っていてくれたらよいと思う。