「福嶋先生の講義を拝聴して」広報班 若月一郎(昭47商)
11月度の作業日は、残念ながら昼過ぎには雨模様となってしまい、現場での作業は急遽中止されて、福嶋先生の講義に切り替わりました。このように突然にお願いする事態でなっても、先生には直ちに講義のできるテーマが数十種類もあるということで、失礼ながら、神業のようなお姿に敬服してしまいました。非常に多数の候補となるテーマがスクリ-ンに映し出されましたが、いずれも植樹会メンバーにとっては大変興味が湧くものばかりでした。今回はその場で何人かの方々のご希望もあって、「武蔵野の植生と植生管理」という題名に落ち着きました。
講義は、日本の緑→東京の緑→奥多摩の緑→武蔵野の緑と、地理的に大きなサイズから段々と我々の母校を含む狭い地域へと絞られていくという構成で行われました。
まず、「日本全体の緑」ですが、日本の森林は国土の67.5%(2,550万ha)を占めていて、 "森の国"フィンランドの69%に迫る勢いであるとのこと。(因みにブラジルが58%で、 アメリカは28%、英国は9.9%)そして、その森のうち、天然林が60%、人工林が40%であると伺いました。
しかしながら、問題なのは、国有林が31.3%、およびそれ以外の公有林が10%しかなく、民有林の割合が58.7%をも占めていて、かつその所有者の数がべらぼうに多いことです。これが、植林地が放置され、荒れてしまったことの構造的な原因となっているとのご説明がありました。
東京の緑については、1930年代から1990年代までの4つの時点での「緑被地の分布図」や写真を見せていただきましたが、特に1994年当時の小平キャンパス付近の航空写真と現在のそれとの落差の大きさは印象的でした。また、お隣の津田塾大学の緑の育ち方も両者を比較すれば一目瞭然です。
東京都は、小笠原から奥多摩の雲取山まで、非常に広範囲、かつ高度差のある地域を含むために植生も多様ですが、残念なのは外来種の数が21%をも占めていて、日本固有の多くの種が、今やその存続を危ぶまれていることです。(東京都には4,323種が生育しているが、絶滅が心配されている種が253種もあるとのこと。)
多摩地域の緑、地質の構成、川の流れ方などについても詳しいご説明がありましたが、やはり、森の75%を占める民有林の所有関係を見ると、非常に細かく分割されているために(1ha未満が71%もあり、所有者は5,252名もいるとのことです。)、森に人の手が入らずに荒れてしまう最大の原因となっています。このため、東京都は積極的にこのような細分化された民有地を購入して、ボランテイア(「多摩川水源森林隊」)の手を借りながら、 間伐により光を入れ、下草と健康な樹木の復活に努めているということをお聞きして、 やや救われた気持ちになりました。
講義は更に対象が狭められて行って、大学キャンパスのある武蔵野のエリア(羽村付近を起点に多摩川と荒川に挟まれて広がる扇状地=武蔵野台地)に移りました。
古代武蔵の国の時代の話から、草原が多いために多く存在する古戦場の話、大岡越前の守が主導した新田開発や、徳川吉宗の指示による小金井堤へのヤマザクラの植栽の話、玉川上水の掘削整備、更には江戸名所図に描かれた大国魂神社や国分寺の絵の話など、非常に多岐にわたる興味の尽きないなお話を伺うことが出来ました。
最後に、国立キャンパスにも面影が残された「武蔵野の平地林」に関する講義になりました。武蔵野の雑木林は、関東の季節風による飛砂や野火による害を防ぐことを目的として、 屋敷の周りに防風林を築きましたが、更に雑木林を人が作り上げた理由としては、生活に資する雑木を植えて、たとえば用材や、燃料(炭や点火用の柴など)として使う、また、落葉を集め、発酵させて作る肥料とするなど、生活に欠かせない多くのものを生み出す場所が必要であったということが良く理解出来ました。
また、クヌギやコナラなどの雑木林の主体となった樹木は、「10-15年ごとに根元から斜めに伐採して「ひこばえ」を出させて育てるという方法によって更新する」のが主であったとのことでした。(その方が、生育が良いため。)
しかしこのサイクルも3-4回までが限界で、その後はひこばえが出にくくなるため、数十年たった頃に、種(どんぐり)から育て、のちに移植する方法がとられたそうです。ところが、一橋大学のキャンパスにある雑木林の樹木はこのサイクルを経ていない(1度も伐採されない)ために、近時はついにその寿命に近づいているとのことでした。
まさに、このようなことが、先月東キャンパスで行われた、植樹会による「雑木林再生のための植樹」の理由であったわけです。
講義はアカデミックな面あり、他方、歴史や身近な生活の側面の話にも及ぶという、本当に興味の尽きないもので、あっという間に1時間30分が過ぎてしまいました。
講義の冒頭に見せていただいた、他の数多くのテーマについても、いずれ是非聴講させていただきたいと心から思いました。