白梅、ドウダンツツジの「卒業記念植樹」を終えて / 一橋植樹会学生理事 高島和弘 平22年社

去る3月15日、国立東キャンパス正門を入った正面の「丸池」に囲まれた中州に白梅1株、ドウダンツツジ2株を卒業生の手で植えることができました。杉山学長を始めご協力いただいた40名の卒業生と当日足を運んでくださった大学職員・OB・在学生の皆様には改めて御礼を申し上げます。

拙文になりますが、「卒業記念植樹」と「私と一橋植樹会の関わり」を振り返りたいと思います。

まず、卒業記念植樹にあたって、私はこの事業の意義を2つ考えました。ひとつは、卒業を記念できる事業であること。もうひとつは卒業後も母校を思い出すきっかけをつくること。私たちは入学以来の「大学生」という期間を学部・クラス・ゼミ・部活やサークルといった様々なグループの中で過ごしてきました。卒業に際して、多々あるグループの枠を越えて卒業生皆が同じことをしたいと考えました。そして、私たちが卒業して一橋を去った後でも、私たちの樹が残ることで母校を思い出し、また母校に来た時には同級生のことを思い出すことができると考えています。そうして私たち卒業生と母校との繋がりが将来に亘って続くはずです。

私はこの2つの意義はまだ達成されていない、まだ達成され得ないと考えています。その大きな原因はこの事業の認知度の低さにあります。 一橋植樹会の活動は長年の先輩方の努力の甲斐もあり、学生たちの間で広く認知されてきたと言えますが、卒業記念植樹の歴史は浅く、ほとんど認知されていません。 参加者数も卒業生の約5%です。参加者の中身も植樹会の学生理事とその友人たちで占められています。今後も、卒業生による記念事業を行うのであれば、それがどのような形であれ認知度を高めていく努力が暫くは必要になると思います。

また、卒業した後でもいいですから、白梅とドウダンツツジが私たち-平成22年卒業生-の樹であることを多くの同級生に知ってもらい、親近感を持てるようにすることも重要なことです。少しずつでも、白梅とドウダンツツジを中心とした同級生の輪を広げていくことがこれからの私の仕事であり、私と母校との付き合い方の一つになるでしょう。

私は昨年3月に一橋植樹会に入会し、入会直後の「新入生」ながら学生理事に推していただきました。それまでも1年生の頃からできる限り植樹会の作業には参加していましたが、それは私が所属していた一橋祭運営委員会の一員として参加していたものでした。 私の中では植樹会の作業はOBとの繋がりや作業自体が目的というよりも、一橋祭を円滑に運営するため、物心両面で一橋祭を応援して下さる如水会・植樹会への恩返しのため、という意識で参加していました。

そんな私が、4年生になろうかという時に植樹会に入会し、学生理事として学生への働きかけをする側に回ったのです。他の学生理事や先輩方にも迷惑をかけたと思いますし、今振り返ってみてももっといろんなことがやれたんじゃないかなぁと思うこともあります。しかしまだ、植樹会の学生への関わり方は試行錯誤の段階を越えていません。いろんなことを試み、様々な情報を積み上げていくべき時点にあると思います。実際に月に1回、学生理事と学生担当のOB理事と会議を重ねてきましたが毎回の会議とその後に控える作業は試行錯誤の連続だったように記憶しています。

今の植樹会にはそのような試行錯誤をフィードバックし、植樹会と学生の関係がより発展していくための蓄積が必要です。未だもう暫く、学生との関わり方については辛い状態が続きそうではありますが、いい意味で植樹会が他のクラブやサークルと同等の関わり方ができるようになることを期待しています。

最後になりますが、今回の卒業記念植樹で、記念プレートにはドウダンツツジ(燈台躑躅)から1字をもらい、「燈」という字を彫っていただくことにしました。「灯りを燈(とも)す」この字に、私たち一橋大学卒業生が社会に明るい灯を燈すことを期待し、また私自身のいち一橋人としての決意を込めました。

これからの一橋大学、一橋植樹会のますますの発展をお祈りするとともに、一橋大学の卒業生たる友人たちの活躍に大きな期待を寄せています。

きっと毎年、梅の花がほころぶ早春、ドウダンツツジがかわいい花をつける初夏に、私は一橋大学と、学び舎を共にした友人たちを思い出すことでしょう。

 雪の色を 奪ひて咲ける 梅の花 今盛りなり 見む人もがも (大伴旅人)