「母校を思う(如水会報2003年9月号投稿)」田中政彦(昭35経)

国立キャンパスの緑の杜を守ろう

大学キャンパスが神田一ツ橋から国立へ移転して、七十有余年が過ぎました。約十万坪の広大な敷地はまさに学問の殿堂にふさわしく、「一橋の歌」の冒頭の歌詞「武蔵野深き松風に世の塵をとどめぬ」風情を持ち続けております。

これは、大学当局の不断の緑化管理の努力と、諸先輩の尽力の賜物であります。如水会有志による一橋植樹会も、三十年前から貧者の一灯の募金をもとにキャンパスに苗木を植え続けてまいりました。こうしたOBを含め全学を挙げての「木を植え継いでいく精神」が、ロマネスク調の優雅な建物群(本館、附属図書館、兼松講堂など)と響きあい、アカデミックで素晴らしい景観が保たれてきたのです。大学通りのソメイヨシノや公孫樹とあわせ、国立の街全体が学園都市としての風格を漂わせております。

私どもOBにとって、若き日のキャンパスの武蔵野の面影がいつまでも脳裏に焼き付いておりますが、卒業記念アルバムの附属図書館の時計台の風景は、いまも変わりません。

しかし、常緑樹も落葉樹も、樹木は年々大きく生長します。うっそうたる景観になるだけでなく、生態系が変わってしまいます。木々はひしめき合い、下枝は枯れて垂れ下がり、低木は陽光があたらず育ちません。笹や雑草が生い茂り、落葉が散乱しています。

また、附属図書館や兼松講堂などの周囲にはヒマラヤ杉などの大木が迫り、建物の外壁が傷んでしまいます。薄暗くお化け屋敷のようなところもあります。不断の手入れが欠かせない芝生ゾーンや磯野研究館前のひょうたん池などは荒れてしまい、もはや手遅れかもしれません。

庭や公園はまさに生き物ですから、一旦手入れを怠ると、後がたいへんです。もとの風情を取り戻すには、多額な費用と労力もさることながら、長い時間がかかります。国立のキャンパスも、状況は全くおなじです。そういった荒廃の懸念があるといったら言いすぎでしょうか。

新宿御苑や皇居東御苑のようなわけにはまいりませんが、国立キャンパスが、樹齢七十年の大木をゆったり配置して、いままでのような景観を保つためには、ここで一挙に「思いきった手入れ」をして、すっきりすることが必要だと思います。混みあった樹木は間伐しなければなりません。周囲の木を圧倒しているヒマラヤ杉なども問題です。林のゾーンでは、大木の下枝を落とし、横枝を払って木漏れ日が射すようにして、下草はきれいに刈り取ります。芝生は貼り替えて、雑草はまめに取り除き、定期的な芝刈りが必要でしょう。植込みや池の手入れも欠かせません。いずれにしても、時間のかかる仕事です。建物のリニューアル工事のように工程どおりにはいきません。じっくりと取り組んでほしいと思います。

大学当局も限られた予算のなかで、山積する諸問題に取り組まなければならなかったわけですから、緑化管理については、どうしても後回しになってしまったのではないかと、残念に思います。しかし最近では、状況の改善を図るべく、東京農工大学の先生の指導を仰ぎ、キャンパスを隅々まで見たうえで、きめ細かくゾーン分けして取り組もうという動きがあり、たいへん喜ばしいことだと思います。

如水会の有志による一橋植樹会は、さきの四月の総会で「国立キャンパスの緑の杜を守る」ために、これまで以上に積極的に協力をしていく旨の確認をいたしました。植樹会の予算規模は、貧者の一灯の会費を主体に年間百万円弱です。いままでは、この資金をもとに、苗木の寄贈を行って参りましたが、これからは大学サイドの方針を、あらためて聞いたうえで、取り組んでいくことになるでしょう。なにはともあれ、如水会員の皆さんに関心を持っていただき、議論を深めることが大切だと思います。クラス会やゼミの仲間と、国立まで足を伸ばしキャンパスを散策してみてください。あるいは、精神的支援にとどまらず、ボランティとして参画したいというご意見があるかもしれません。しかし、現実問題としては、関与の限界もあると思います。管理主体はあくまで大学当局ですので、大学からの要請をうけたうえで、できることから取り組んでいくことになります。

来年四月から、一橋大学は新たに「国立大学法人」として発足します。

大学には多くの権限がゆだねられると同時に、経営的視点での運営が問われることになるでしょう。国立キャンパスの緑の杜が一橋大学のアイデンティティーを、さらにはぐくみ育てる「母胎」として、いっそうアカデミックで風格のある風情を醸しだすよう願ってやみません。

(一橋植樹会常務理事)