「ゼミテンを偲ぶ植樹が大きな活動に」妹尾 大(平5社、平10商博)
2013年10月20日。降りしきる雨の中、簡易型レインコートに身をつつんだ大集団の中に私もまぎれこんでいた。この百人を超える人々の手によって、一橋大学国立東キャンパスに13本の植樹が実施され、雑木林再生の取り組みの端緒が開かれた。
記念すべき植樹イベントに、私は「竹内弘高ゼミ9期」を代表してゼミテン4人と一緒に参加していた。四十半ばの同期たちが、二十歳前後の現役学生に負けまいと、はりきってシャベルを振るっているのが、頼もしいような、可笑しいような光景である。
9期ゼミテンは全部で16人いた。そのうちのひとりが17年前にスキューバダイビング中の事故で亡くなった。一橋大学を愛していた彼の想いが、これらの樹木とともにキャンパスに根を張り、われわれゼミテンや大学の後輩たちの想いを巻き込んで大きく育ちますように、と念じながら土を盛っていった。
故・山本都博(やまもと くにひろ)君は、平成5年に商学部を卒業後、松下電器産業株式会社(現:パナソニック株式会社)に入社した。在学時は国際部に所属し、就職後もアメリカへのMBA(経営学修士)留学の希望を持ち続けていた。
山本君を偲ぶ植樹のアイディアが生まれたのは、昨年秋だった。十七回忌の墓参を終えた後、彼を偲ぶ奨学基金の設立を竹内弘高先生が発案なさった。「あいつは就職後も留学のための勉強を続けていて、事故にあった旅行にも俺の本を持っていってたんだもんナ。泣かせるよな。」さすがは竹内先生。ハーバードビジネススクールの教授となられてからもGNN(義理・人情・浪花節)を重んじる価値基準は微動だにしない。この価値観は受け継いだものの、集金力には不安のあった不肖のゼミテンたちが知恵を絞り、植樹を含む複数のアイディアを生み出した。
植樹の実行可能性を探る役割を任せられた私は、最近の大学生のように、まずはgoogle検索で「植樹」と入力してみた。すると神の啓示か、一橋植樹会が検索トップで出力されたではないか。八藤南洋会長に連絡をとり、相談に乗っていただいた。その当初にお伝えしたイメージは、「キャンパスのどこかに一本の樹を植え、その植樹作業の風景を動画でご遺族に報告したい。ついては、樹木購入費用と将来のメンテナンス費用を負担したい。」というこじんまりしたものだった。この小さな申し出を、武蔵野の雑木林再生計画という一橋植樹会の新規活動に結びつけていただき、ヤマザクラやコナラやクヌギの雑木林再生のための植樹という、より大きな事業へとひろげていただいた。
場所は、マーキュリータワーの東側。東キャンパスの東門、山本君がアルバイトの往復に使っていた門の近くである。これからここを何度も訪れ、木々の成長による雑木林の再生を見届け、故人を偲び、遺族に報告し、一緒に植樹作業してくださった植樹会の皆さん、ボランティアの学生さん、山内学長への感謝を思い出すことだろう。