「米川伸一名誉教授の13回忌を迎えて記念植樹」昭和53年六水会、古久保俊嗣 (昭53経、米川伸一ゼミ卒)

昨年七月に32年振りのゼミ合宿を実施した。このような集まりには18人のゼミテンから毎回十数人が参加する。卒業して益々盛んなゼミナールである。ゼミ合宿の中で、翌年に迫った恩師である米川伸一名誉教授の十三回忌について議題になり、夜半まで各ゼミテンの先生への思いが次々と披瀝されたのである。しかし、卒業後三十数年を経ているが、このような熱い議論が交わされたのは初めてのことであった。そこで、十三回忌には、大学敷地内に記念植樹することが決まったのである。ゼミ合宿終了後には、その足で国立キャンパスを訪問し、植樹のイメージも作り上げていった。

そこから一年以上にわたる準備が始まった。先生のご自宅に夫人をお伺いして、複数回にわたって詳細をご相談しながら、一方では、大学施設課、一橋植樹会、植裁業者などのご支援を受けて、植樹の場所、時期、樹木の種類などを選定していった。

そのような経過の中で、米川夫人は、自ら一橋植樹会に入会され、精力的に活動に参加されている。

最終的に与えられたのは、兼松講堂右手奥の好立地である。周囲とのバランスから、八重桜の関山を選択した。

次は銘文である。ゼミテン一人一人が、先生の教えと思い出をもう一度ひも解くことから始めた。先生に相応しい一文を探し出すために、本棚から先生の古い書籍を取り出した者も少なくなかった。もちろん、米川夫人にも参加いただいた。最後には、先生のご自宅で、ご遺稿や書籍にもう一度目を通しながら、思い出話も交わしながら、改めて先生の人柄や思想を振り返っていったのである。その結果、先生の遺稿の複数箇所に見られた「史実の析出」が選ばれた。一次資料に徹底的にこだわり、原典に戻る重要性を常に説き、自らロンドン大学に長年にわたって赴いて、新たな資料の発掘を続けられた、先生の信念と哲学を表出するものである。

植樹式の当日は、あいにくの雨模様の天気だったが、米川夫人、ご令嬢、一橋植樹会の籏野会長、西村理事、大学施設課の伊藤氏、関東緑化の久保部長、ゼミテン11名と多数の参加を得て、滞りなくかつ和やかに式典を済ませることができた。

今回植樹した八重桜の関山は、成長も早く、病害虫にも強いとされている。毎年4月下旬から5月上旬に鮮やかな花を咲かせてくれるはずだ。これでまた、昭53年六水会の絆の柱が一つ増えたことになる。