植えた「き」の名は・・・ / 体育会應援部第56代主将 安永勇太郎(経4)

先日、私は植樹会に参加したのだが、それは何と、新生植樹会になって通算100回目の記念すべき月例作業の日であった。そんな記念すべき日に記念樹を植え、自然薯掘りをおこなったのであるが、100回の感慨はつかの間、いつものように雑草を刈ったり、校内で育った自然薯掘ったりしていつものごとく土まみれになったのである。記念すべきにもかかわらず、いつものごとく作業をしている大先輩方の姿を見ていると、逆説的ではあるが、だから100回も続いているのだと痛感した。つまり、「母校をきれいにしたい。この自然を守りたい」というその思いのみでやってきたからこそのものなのである。

前置きはこのくらいにして、この度寄稿文を書かせていただくにあたり、2つのことを述べようと思う。一つは、先日の自然薯掘りの報告レポート、そしてもう一つは私とこの植樹会のかかわりについてである。

まず、自然薯掘り、といっても東京近郊に住んでいる学生にとっては自然薯というのを知らないものも多かった。簡潔に説明すると、天然もののヤマイモのことである。私は地方の生まれなので、もちろん食べたことはあったが自ら掘るのは今回初めてであった。いってもヤマ「イモ」というくらいなので、青々した蔓を力いっぱいひっこ抜けばよいのだろうと考えていたが、これが真逆の作業なのである。枯れ蔓を用心深く見つけたら、その付近をこれまた用心深く掘っていくのである。決して力任せに引っこ抜いてはならない。ある程度掘り、腕の関節くらいまでの穴を覗き込んでも、しわがれた蔓が続いているだけである。ともすれば、近くの雑草の方がよっぽどそれらしい姿で、根を張っている。腕の長さほど掘り進んでようやく、か細いヤマイモらしきものが見えるようになったが、顧問の福嶋先生の御助言がなければ、到底それだと信じられるような姿ではなく、半ば飽き飽きしつつ掘っていたら、急にそれらしき姿を現したのである。そこからも一苦労で、ていねいに周りの土を削りはするものの、穴の深さをとうとう腕の長さをも超えるほど深く、地面に這いつくばって自然薯を探した。やっとの思いで掘りあげた自然薯は、思ったよりも小さかったが、無骨な、しかしそれでいてえも言わぬ気品を漂わせた姿であった。と、自分で掘ったものゆえに、少し謳い過ぎた感は否めない。実際にすりおろしていただき、食したところ、普段我々が食べるヤマイモよりも、褐色がかっていて、粘りが大変強かった。しかし、味は絶品であり、普通とろろにはしょうゆをかけるのだが、そうせずとも、「ヤマイモ」の味がしっかリとしていた。

今回は収穫物があったので、それを食べたのであるが、このような事が出来るのは、毎回作業後に懇親会が催されるからである。この懇親会を含め、2つ目の私と植樹会の関わり合いについて述べると、私が作業に参加しようと思ったのは、部の役職故であった。かつて應援部の先輩方は、植樹会に参加しており、私も主将になったからには、顔を出さねばと思い、半ば義務として参加した。「植樹」会という割には、雑草を刈ったり、枯れ木を伐採したりという作業が多く、はじめはそこまで魅力を感じなかった。そして作業が終わり、懇親会に参加してみると、その考えは一変し、これが面白いのである。まず、今日の作業はいったい何のためにやったのか、校内にどんな植物が生えているのかと言ってお話から始まり、一橋大学について、アカデミックはことについて、果ては、政治経済など社会情勢のことについても話していただいたのである。語弊を恐れずあえて申し上げると、私と同じようにジャージのような作業着に身を包んで、土まみれになって作業したおじさんたちは、つい数年前までは、大企業の役員をなさっていたり、様々な要人を交流なさっていたりと、経済界など社会の第一線で活躍されていた大先輩であったのである。そのような大先輩が、わざわざ母校に出向き、学生と共に、泥まみれで作業している、しかも、職員や教授陣をも巻き込んでやっているところに、一橋の精神を垣間見ることができた。私がこの大学に入りたいと思った理由の一つは如水会のようなOB組織力であったのだが、まさに、一橋以外では考えられない、素晴らしい活動だと感心していたところ、大先輩のお一人が「この作業の後の一杯が、いいんだよね」と言いつつ、ビールをすすめてくれた。少し大人になった気分であった。その後、毎月作業に参加し、次第に顔と名前も覚えていただくと、ますます作業も懇親会も楽しくなってきただけでなく、なぜ一橋に銀杏が多いのかということや、岸田登先輩をはじめ母校の自然を守ろうと会をたちあげた皆様の、熱き思い等も知る事もできた。

最後に、今回の寄稿文のタイトルとした「植えた『き』」というのは、なにか。現在の植樹会は実際に、毎回木を植えているわけではない。しかし、1年間作業し、大先輩方と語らってわかったのだが、社会の第一線からは幾分離れた先輩方が、ふと母校の自然の良さに気付き、それを今の学生、関係者に教えて、受け継いでいく、すなわち母校の自然を愛する、ひいては母校を愛する「気」を植えてくれているのだと思った。北原白秋の言葉に「草を見る心は己自身を見る心である。木を識る心は己自身を識る心である」というのがあるが、まさに一橋大学の草木を大切にし、守っていくことで、見えてくるものがあると思っている。このような、名実共の「植樹会」がある母校を誇りに思い、来月の作業を心待ちにしながら筆を置こうと思う。