「海外留学便り」パリ政治学院2010-11派遣 法学部4年 中西晶子

早いもので、留学期間の半分が過ぎた。話を聞いていると、今年のフランスは様々なことが例年とは違うようだ。例えば、天候。12月上旬から、天気予報で雪マークを見ない日はほとんどない。初雪が11月下旬に降ったこと自体、とても珍しかったらしい。経済面では、ユーロ安が止まらない。相対的に円が高くなっている今、私にとっては非常にありがたい状況ではあるが、金融業界は大ダメージである。ウォールストリート・ジャーナル紙の一面は、ほぼ毎日、アイルランドなどの中央銀行への援助やEUの経済に関する議決の話題で飾られていた。その中でも、今回は、今秋繰り広げられていた大規模な社会運動を通して見えてきたフランス社会について、考えたことを書いてみたいと思う。

9月7日、地下鉄の駅に着いて、仰天した。電車が来ない。普段なら2,3分に一本走っているはずが、次の電車の到着まで15分以上という表示になっている。駅員に聞いてみると、年金改革法案反対のためのストライキらしい。後で確認したら、パリ近郊の地下鉄、郊外鉄道、TGV(新幹線)、バス、飛行機など、その日の公共交通機関の運行は普段の1/2~1/3、路線によっては0%だったらしい。この日のストはパリだけでなくフランス全土で組織され、公共交通機関以外にも、郵便、石油の配給、ごみの回収などが一斉にストップした。フランス人はよくデモやストをするとは聞いていたが、こんなに大規模で、これほど多くの人々の生活に支障をきたすものだとは想像していなかった。

そう、ストライキは関係ない人にとってはただの迷惑でしかない。では、なぜフランス人はこれほどの怒りを爆発させ、このような手段をとるに至ったのだろうか。今回の年金制度改革の概要は、年金財政赤字(約3.6兆円)の解消のために、定年を60歳から62歳に、年金の満額支給開始年齢を65歳から67歳に一律に引き上げる、というものである。社会保障の厚いフランスでは、定年退職後の年金として、最大で、もらっていた給与の最高額の75%が給付されるらしい。満額支給のためには164四半期(計41年)の年金保険の支払いが求められるものの、最低3か月以上正規雇用に就けば年金の受給そのものは保証されるうえ、所得代替率が50~55%と定められているため、一定以上の年金の受給は確保されることになる。25年納付しないと一銭ももらえない日本と比べたら格段に易い。フランスでは、給与体系の仕組みが低学歴・低所得者に不利にできている。就労時期の遅い高学歴者は定年退職を迎えても年金の満額受給は望めないが(満額支給条件の164四半期から1年短くなる毎に5%の減額支給)、もともとの給与レベルが高いため、就労中の十分な貯蓄が可能であり、年金が減額されても生活へのダメージは少ない。しかし、大半の国民はそれに当てはまらない。フランスの平均年収は約350万円、日本の約430万円と比較するとかなり低い。一般のフランス人が所得が低くても我慢できるのは、ひとえに年金制度をはじめとする社会保障の厚さゆえである。この、皆が待ちわびている年金の受給が遅らされることに、人々は怒り、政府に反旗を翻したのである。

パリを沸かせたデモの様子
(写真:中西晶子)

それにしても、やり方が強硬である。この日を皮切りに11月まで何度も大規模な全国ストが決行され、毎朝ニュースで電車やバスの運行状況を確認してから出かける日々が続いた。マルセイユではゴミの収集が数週間ストップして町じゅうにゴミが溢れかえり、軍が出動して回収にあたった。各地の空港やガソリンスタンドではガソリンの配給がなくなったために、高速道路でガス欠が頻発した。一時は空港閉鎖との噂まで出た。個人だけでなく、国家間レベルの物流にも支障が出た。ストに合わせてデモも頻繁に行われ、道路封鎖、建物占拠、時には放火にまで及んだ。国全体としての経済損失は、一日あたり2~4億ユーロにものぼっていたそうだ。今年のストは、GDPを0.4%のマイナスに追い込んだ1995年のストに次いで、2番目に大きなものだったらしい。

こんなにも暴力的な手段をとる必要があったのだろうか。

日本人なら、「人様に迷惑をかけてはいけない」という考えが大前提にある。人には様々な自由が保障されているが、他人に迷惑をかけない範囲で、という条件付きである。しかし、フランスでは違うらしい。多方面に被害を及ぼし、国の経済成長をマイナスに追い込んでも構わない。この点が、日本人である私にはとても不可解だった。もちろん、自らの老後や自分の子供たちの将来がかかっていることだから、政府の改革案に納得がいかない場合には、政府に対し自らの意見を主張することは必要であるし、大事なことである。しかし、もっと平和的で、少なくとも他者に害を及ぼさない方法をとれないものだろうか。

今回の改革案に反対する人はフランス国民全体の65%にも及んでいたらしく、確かにストそのものをやめるべきだ、という声はほとんど聞かなかった。電車の運行が完全にキャンセルされ、家まで数時間かけて歩くことを余儀なくされても、文句を言いつつ歩き出す。最初は、個人の自由の尊重という価値観から、フランス人はストを受け入れ、その不便さに耐えているのかと思った。だが、違う。電車を待つフランス人はイライラを隠そうともせず、汚い言葉でその状況に不満を言う。駅員にものすごい剣幕で文句を言う人たちを何度も見た。文句を言うということは、迷惑だと感じている証拠だ。辛抱強いとは決して言えないフランス人が、「我慢」してこの不便さに耐えているとは考えにくい。ある人が著書の中で、「『いつかは自分もストライキをする番が来る』と考えているから、『おたがいさま』という心性があるから、フランス人は辛抱強くストライキが終わるのを待つのだ」と言っていたが、些細なことでよく怒ったりけんかしたりするフランス人を見ていると、あまりそうは思えない。フランス人自身も認めるところだが、彼らはあまり我慢強いタイプの民族ではない。冗談めかして「フランス人には革命家の血が流れている」という人もいたが、果たしてそうなのだろうか。

ストに遭遇したフランス人がよく言う言葉は、「C’est la France (これがフランスだ)」「Toujours comme ca (いつもこんなだよ)」「tant pis (仕方ない)」など。文句を言いながら、これがフランスだ、と言って現状を受け入れる彼らからは、寛容さというよりも、諦めや慣れに近い感情が伺える。そう、フランスには、あちこちに不便さが溢れている。スーパーのレジの効率の悪さ然り、よく紛失される郵便然り、エスカレーターのない地下鉄の駅然り、よく詰まるシンクの排水溝然り、切れないし貼りつかないサランラップ然り、枚挙にいとまがない。この不便さへの慣れこそが、フランス人のストに対する態度として現れているように私には思える。そして、この手段の暴力性についても、既にこのような手段をとることが慣習化しているためだと考えるのが妥当だろう。フランス人が特別に暴力的というわけではなさそうだ。

手段の是非については納得はできないものの、フランス人の行動力には感服した。デモへの参加率、特に高校・大学生の参加者の多さには驚かされた。高校生たちがどこまで今回の問題を理解していたのかは定かでないし、お祭り気分で便乗した者もある程度いたはずである。しかし、それを差し引いても、彼らの行動力と政治への関心の高さはすごいと思った。日本ではこうはならない。東京で何度かデモ行進を見かけたことがあるが、まず若者はほとんど見ない。しかも、たいてい警察に前後を固められ、大きな音を出すことは制限され、道路の端を歩くだけである。通行人は冷ややかな目でそれを見ている。他方、デモとなると、フランスでは、まず見渡す限り道路が人で埋め尽くされる。また、横断幕、巨大風船、トラックなどとともに、拡声器の声が響き、人々がそれに唱和し、辺り一帯が音の洪水に飲み込まれる。初めて見た時は圧倒された。デモというより、パレードのイメージに近いかもしれない。フランス人がこれだけのエネルギーをもっていることに、素直に驚いた。

でも、私の通うパリ政治学院では、デモに積極的に参加する人はほとんど見かけなかった。理由は簡単。ここの学生たちはエリートの卵で高所得が約束されており、かつ、裕福な家庭で育ってきた人が多いからだ。パリ政治学院はgrandes ecoles(グラン・ゼコール)の一つであり、Universite(大学)よりもさらに一つレベルの高い高等教育機関である。以前の官僚養成学校というカラーは薄れつつあり、卒業生の大半が民間企業に就職するようになったものの、エリート学校であることは間違いないし、多くの学生は未来の大企業の幹部候補生たちなのである。だから、今回の年金改革についても、財政赤字解消という改革の必要性を冷静に受け止め、これだけフランス中で盛り上がるデモに参加する者はとても少なかった。私が普段関わっているフランス人は、社会の中の、ごく一部の上層部の人々なのだ、ということを強く感じた。パリ政治学院で学んでいるだけでは、フランス社会を見たとは言えない。フランスは、階級社会である。もっと多くの階層の人と関わりたいと思った。

フランスは、repartition(分配)の国である。先にも書いたとおり、失業率が高いうえ、国民の平均所得は決して高くない。労働時間も法律によって週35時間と規定されているため、蓄財は難しい。だが、富の再配分の仕組みが整備されているため、最低限の生活ラインは保証されている。かくいう私のアパートの隣人も、働いてはいないが生活には困らないほどの補助金を得て生きているらしい。年金制度もその一環であり、国が一元管理することによって安定性と平等性を確保している。だからこそ、安定した年金という老後の保証があるからこそ、人々は給与が低くても平気なのである。

しかし、今回の年金改革は、この人々の安心感を揺るがした。実際、政府としては定年退職の年齢を最終的に65歳まで引き上げようとしているらしい。いつまで働かなければいけないのか、自分たちが定年退職するときにはどうなるのか、安心して暮らせるのか、と人々は自らの将来に不安を抱き、政府に対して怒りを抱いた。そして、今回のスト・デモという行為に及ぶこととなった。

フランスにいると、いろいろなことをつい日本と比較してしまう。それがとても楽しい。日本という視点を持っていなければ気づけないがたくさんあるし、それを発見するたびに嬉しくなる。私はフランス人になりにフランスに来たわけではないし、なれるわけもない。現状をそのまま受け入れる寛容さと、比較のなかで物事を多角的にとらえる思考の柔軟性との大事さを、何度も感じたこの5カ月であった。

パリを沸かせたデモの様子 (写真:中西晶子)