「当たり前として享受している財産」社会学部3年 澁谷公達
一橋大学は他大学に類を見ないほど自然に溢れ、かつ、自然を大切にしている大学である。が、悲しむべきことに、一橋大学の学生はそのことをさも当たり前のことと認識し"過ぎて"いる。緑豊かなキャンパスが広がり、それがきちんと手入れされ保全されていることがとれだけ貴重であることか。しかし、そのようなことなど、学内生からしたら最早見慣れた日常風景でしかなく、挙げ句の果てには、その自然の豊かさをジャングル的とまで揶揄する人まで存在する。
一橋植樹会の学生理事や、別団体にはなるが一橋祭運営委員会を務めた経験から、最も強く感じたのが上述した"嘆き"である。今回寄稿文を執筆させていただくにあたり、この点について少し言及したい。
一橋大学のキャンパスは本当に美しい。レンガ風の校舎が重厚感と文化的魅力を発し、構内に余すところなく広がる自然がそれと見事に調和して、一つの芸術作品を生み出している。このことは、良く構内に一橋大学の絵を描く人達を見かけることからも、また、一橋祭運営委員を務めていた際には、来場者のアンケートで、紅葉深まる自然と重厚な校舎の調和を褒める意見が多数見られたことからも、これは澁谷一人の感傷ではない。
また、一橋大学が持つ魅力はそうした芸術的な美しさだけではない。広い芝生や隅々まで配置された木々や銅像などは、子供達にとっては巨大なアスレチックのようであり、親しみやすさを感じるはずだ。事実、一橋大学には子供連れの母親達をよく見かけ、子供達は緑豊かなキャンパスを縦横無尽に楽しそうに遊びまわっており、それを見るこちらとしても心が暖まる。
そうした美しい自然を誇る一橋大学であるが、もちろんこれは自然と母校を愛する一橋植樹会と多数のOBの方々のお力添えの賜物である。月に一度、学園祭前などのシーズンであればより高い頻度で行われる定例作業や、OBの方々の自主作業によって、この自然は美しさを保っているのである。
対して、学内生の自然への意識の低さは嘆かわしいばかりである。定例作業への参加数がOBの方々より少ない時もあり、自然が多すぎることを未開拓と言って馬鹿にする人も見かける。彼らにとってみれば、この美しい自然は、入学してからずっとある当たり前のキャンパスの光景でしかないのだろう。
もちろん、こうした自然への関心は愛校心につながるものであり、現代の若者ほど薄れゆくものであるから、これを嘆くことは良くある「これだから今の若者は!」という年寄りの戯言みたくなってしまうのかもしれないが。ただ、自分達の通うキャンパスなのだから、その美しさにもっと目を向け、それ対する慈しみの気持ちを少しでも抱いてくれればと思う。
以上、長々とではあるが、これを読んだ方が少しでも目の前の自然に意識を向けてもらえれば幸いである。