「松林と灘の生一本(如水会々報 #418 昭和40年2月号より復刻)」増田四郎 (昭7学)
ご承知のように、国立本校の構内には、いたるところ赤松の大木がしげっていて、キャンパスの美観をひきたたせている。郊外にやたらと住宅がふえた今日では、航空写真でも明らかなように、一橋の構内だけは別天地の美しさである。ところで、先日、農林省林業試験場の小山博士が大学へおみえになり、「一橋大学の松林は、中央沿線における最もすばらしい美林であるが、専門家のみたところでは、最近とみに緑の色があせ中には枯死寸前のものも目につきだした。いまのうちに根本的な若返り策をほどこさないと、遠からずして一本のこらず枯れてしまうかも知れない。なんとかしてこれに特別の保護を加え、百年二百年ののちまでも元気に保存したいものだ」といわれた。
私たち毎日構内を歩いているのに、それに気づかず、わずかに数年前から幹にコモを巻いて冬ごもりの害虫をとる程度の手当てをしていただけである。それで、まさかそんなことになっているとはつゆ知らなかったのであるが、小山さんといっしょに、松を一本一本みてまわって、なるほど枯枝があちこちにあり、また葉の色つやがなんとなくしなびて、弱ったという感じであることがわかった。林業試験場では、大学の松林に前々から注目され、カラーのスライドまでとって、あの美林が最近どういう具合におとろえつつあるかを、科学的に調べておられたわけで、私どもはそのスライドをみせてもらって、いよいよもって、これは大変だという感じを深くした。
よく聞いてみると、赤松は黒松(雄松)より強いが、それでも大体七、八十年目というのが、いわゆる更年期にあたり、それを肥料その他の手当て、または自然の自力生きながらえる、不思議なもので、つぎは百年、二百年の年齢を保てるということであった。そういわれてみると、一昨年、磯野研究館が新築された際、幾本かの松がきられたが、その時私が年輪を調べてみたのでは、最大のもので七十八年、少し若いもので五十年ぐらいであったことを思い出し、なるほどと感心した。
そこで、一体どうすればよいのかということになったが、最も特効薬的にきき目があるのは、灘の生一本――合成酒では駄目――を根のはり具合をみて周囲にかけてやることだそうである。しかし盆栽ならばとにかく、あの数千本もある大木の根に効き目あらたかなほど灘の生一本をかけるということは、かけ手の志願者はいくらでもあろうけれども、財政的にいってこの不景気な緊縮時代には到底のぞまれぬ相談である。
そこで涙をのんで次善の策として、特殊の肥料を数十俵買って、専門家に施肥してもらい、伝染のおそれのある枯死寸前のものは、思いきってきりたおしてしまう計画をたてた。しかし国有財産のことであるから、一々ナンバーをうって台帳をつくる仕事からはじめねばならない。まあ大変なことになりそうである。それはとにかく、一本一本調べてみると、松ボックリが鈴なりについているものに、枯死寸前組が多いことがわかった。私は松カサは元気のシンボルとばかり思っていたが、実は全く逆で、子孫を絶やさないための神の摂理であることに感心した次第である。
大学が今秋、創立九十周年をむかえようとしている時、構内の赤松にも徹底的な若返り策をほどこし、さらに百年、二百年ののちまで、変わらぬ松の緑をたもたせたい。
きりたおしたあとには、直ちに松の若木を植え、一橋大学の構内だけは、いつまでも緑の森であるようにいたしたいと考えている。大木はお金では買えないのであるから、理屈をぬきにして大切にしたいものである。
(一橋大学長)