「学外研修(NPO玉原高原作業)に参加して」作業班 五島 康晴(昭44経)

10月1日2日、今年も恒例の玉原高原の研修に籏野会長以下9名が参加しました。岸田・国持両夫人と私が初参加ということで、それ以外のメンバー(籏野、志田、中居、八藤、湯川、川崎、敬称略)は既に何回かの経験があるメンバーでした。自車で行く中居さんを除く8名は7時10分に日野駅に集合、籏野・湯川車にそれぞれ分乗し一路玉原高原を目指しました。事前の天気予報では悪天候が予想されていましたが、一橋植樹会のジンクス通り、当日は気持ちの良い秋晴れとなりました。

ベースキャンプとなる玉原高原の常宿(ペンション・つつみすくえあ)で、福嶋先生はじめNPO法人「玉原高原の自然を守り育てる会」のメンバー約10名と落ち合いました。先方のメンバーの中には数日前に日本に到着したという中国・北京農林大学からの福嶋研究室への女子留学生(陳さん)と福嶋研究室の女子研究生も含まれたにぎやかさでした。

昼食を早めに済ませ、二日間の予定と作業内容が説明された後、車に分乗して初日の作業にスタートしました。初日の作業はブナの種の拡散状況のデータ取得のためのシードトラップの設置です。作業の大仕事の一つはシードトラップ設置のための資材を山上のブナ林まで運び上げる作業です。運び上げる資材は、トラップを支持する塩ビのパイプ・シードトラップ用のワイヤ等でした。空身でも山登りはきつい前期高齢者がほとんどの一橋植樹会のメンバーにとってはかなりの重労働でしたが両夫人を含めて全員が落伍することも無く役割を完遂しました。

シードトラップの設置は2か所に分かれて、それぞれブナの木の周りに東西南北8方向に2m間隔で7か所合計56個のシードトラップを設置するものでした。NPOの経験者(リーダー)の指導の下作業はそれなりに出来ましたが、作業完了する頃にやっとコツなり要領なりが判り、何事も経験だなと実感した次第です。

作業前の先生の説明では、ブナ林には5~6年に一度ブナの実を大量に付ける大豊作の年があり今年はその大豊作の年に当たるそうです。我々が設置したシードトラップに大量のブナの実が入り貴重なデータが取れることになるでしょう。

宿舎はNPOメンバーと一橋植樹会メンバーの貸し切り状態で、夕食は玉原までの道中で調達した群馬の地酒や福嶋先生のアイスランド土産のウォッカなどが飛び交い例によっておいしい楽しい宴会となりました。

二日目の作業は、我々一橋植樹会のメンバーにとっては常宿の近くで育成したブナの苗木を植林する予定のブナ林まで運び上げることでした。昨日の資材の運搬を経験していたのでさほどのことも無く完了しましたが、ちょっと印象的な行動がありました。それは運ぶルートに山道が無く大勢が同じルートをとると踏み道が出来て自然環境へ影響するということで各自がササ林をかき分けて目的地に到着したことです。自然環境にそこまで配慮して活動するNPO法人、さすが自然を守り育てる会と感心した次第です。

苗木運搬の後、一橋植樹会のメンバーは福嶋先生の説明を受けながらブナ林から湿原までの山歩きを楽しみました。この山歩きは私にとって非常に勉強になる忘れ難い経験となりました。普段は漫然と歩いている山道が先生の解説でなるほどと納得させられることしばしばで、非常に興味深いものになりました。山道を歩きながら教えてもらう色んな木の名前と見分け方、かえで類だけで丁度10種に及びました。ブナ林と言ってもブナだけで成り立つのでなく上層にはブナ以外にトチノ木やホウノ木などがあり、低木としてかえで類が有り、その下をササが覆っている、林の中にしばしば見られるマウンドは大木が根から倒潰して生じたものである、木の年齢を知るのに年輪だけでなく広葉樹の場合木の幹に出来る印(名称は忘れました)による方法がある、白樺と岳樺は幹の色で見分けるだけでなく葉っぱの形も全然違う等々、専門的には当たり前のことが素人の私には非常に新鮮で興味深いものでした。

山歩きの最後の湿原で福嶋先生から説明いただいた玉原高原における戦前のブナ林伐採と戦後のブナ林育成・湿原復活の話には、改めて我々人間が自然とどう付き合ってゆくべきかを考えさせられました。我々人間は自然を前にしてはもっと謙虚になるべきだという感を強くしました。

私にとってこの研修は仲間との楽しい時間に加えて自然と人間の付き合い方を勉強した二日間でした。