「風土」と「風景」一橋大学長 山内 進
和辻哲郎の『風土─人間学的考察』によれば、アジアからヨーロッパにいたる地域は主としてその自然環境にしたがって三つの大きな地帯(モンスーン地帯、砂漠地帯、牧場地帯)に分かれ、人間関係のあり方もそれに伴って各々異なるそうです。モンスーン地帯は東・南アジア、砂漠地帯は西アジア、牧場地帯は西ヨーロッパ地域を指し、人間もそれぞれ忍従性、闘争性、合理性をもつとのことです。このような風土論的考え方は、すでにモンテスキューの『法の精神』でも繰り返し語られています。彼の考えでは、法はすべからく風土から発する独自性をもちます。「精神の性格や心の諸情念がさまざまな風土のもとでは極端に違っているということが本当であるとすれば、法律は、これらの情念の差異とも、これらの性格の差異とも相関的であらざるをえない」(上原行雄他訳『法の精神(中)』岩波文庫)からです。
和辻であれ、モンテスキューであれ、その考え方については賛否両論でしょう。しかし、モンテスキューの『法の精神』が当時のヨーロッパでベストセラーとなり、和辻の著作が日本の代表的名著とされているように、風土論がそれなりの説得力を持っていることは確かです。
スケールは違いますが、大学にも「風土」はあるような気がします。キャンパスとそこで培われてきた伝統の織り成す大学全体の知的、感性的環境がそれです。少なくとも、私はそう考えています。この環境は簡単には出来ません。まして、素晴らしい、誇れるような「風土」は日本全国を探しても稀です。世界的にもそう多くはありません。しかし、一橋大学にはあります。
ここで大きな役割を果たしているのが一橋大学の「風景」です。これは、風土でいえば、自然環境にあたります。自然環境は風土そのものではありませんが、それに大きな影響を与えます。大学の「風景」が大学の「風土」の形成に占める割合を数字で示すことは不可能ですが、直感的にはたいへん大きいように思えます。
良い「風景」は良い「風土」を創る、と私は思います。しかも、一橋大学の「風景」は純粋に自然的なものではありません。先人が創り、私たちが維持してきたものです。最近は維持するだけでなく、さらに磨きをかけています。これは誇るべきことではないでしょうか。この誇りをもたらしているのは、なによりも「一橋植樹会」の活動です。「一橋植樹会」に感謝するとともに、今後のいっそうの活動をともに進め、より素晴らしい「風景」を創っていきたいと思います。