「国立の緑に導かれ、隠岐へ」宮崎 雅也(平18商)記
海・里・森のつながる場所で暮らす
2006年に大学を卒業後、島根県・隠岐にある海士町へ移住して、早いもので4年半。海・山・田畑に分け入り、さまざまな自然の恩恵にあずかりながら暮らしています。
自分たちで育てている米や野菜はもちろんのこと、日常生活で怪我をした時でも、止血によもぎを使い、化膿止めにはクロモジを煮出した液を使っています。植物の力を感じずにはいられない毎日です。
隠岐へ移り住んでから、自然と意識するようになったのは、海と森のつながりです。島全体が火山島だったために、海岸は岩場がほとんどで、海のすぐ近くに森が広がっています。
山の木が伐採された箇所では、大雨が降ると大量の土砂が海に流れ込み、流れ込んだ土砂が堆積した場所の周辺では、磯焼けが起こって魚介類のエサや棲み処となる海藻が減り、結果的に漁業資源が激減します。漁に出て箱メガネで海を覗くと、その状況が良くわかります。そんな中、漁業者も、漁協の呼びかけで海岸に植樹を行うなど、資源を少しでも長続きさせるための取り組みを始めつつあります。(写真参照)
また、渡し船の船頭をしながら耳にするのは、30年以上隠岐へ通う釣り人たちが口々に語る「昔に比べて魚が少のうなった。松が枯れてからじゃなぁ。」という話です。
かつて海岸を覆い、「魚つき林」を形成していた松は昭和60年ごろから減少し始め、平成5年には特に顕著な被害が現れ、周辺の松が壊滅状態に陥ってしまったようです。
県職員の知り合いの方に伺ったところでは、3年前から生き残りの松から種を採取し、苗木を作り、それに線虫(マツクイムシ)を注射して耐性のある松を選抜している最中とのこと。選抜作業にはあと3~4年かかるとのことですが、耐性のある松が見つかるよう、期待が高まっているところです。
きっかけはキャンパスの緑
話が変わって、私事で恐縮ですが、小生が一橋大学を受験しようと思った最大の理由に、環境の良さがありました。10年前の高校3年生の夏休みに大学を訪れた際、緑豊かなキャンパスで、地域のお年寄りが絵を描いていたり、親子連れがキャッチボールを楽しんだりする光景がほのぼのしていて、「あぁ、こんなところで勉強してみたい」と。それがきっかけでした。
そして大学6年目(学部4年生)に、海士町の中学生が修学旅行で大学を訪れたのが縁となって、今、島で暮らしています。
極端にいえば、国立キャンパスの緑がなかったら、小生は今の暮らしをしていなかったわけで、大学の森は小生の人生の一部分となっていたわけです。学生時代は当たり前に感じていたキャンパスの緑のありがたみと、植樹会の方々のご尽力が、今になって実感できたというだけでも、隠岐へ移り住んだ甲斐があったと感じるこの頃です。刈っても刈ってもすぐに伸びる草と、田畑で格闘しながら、母校のキャンパスを美しく保つ植樹会の方々のご苦労を思い、改めて感謝申し上げます。