「植樹会に入会して」 川崎 勝晤 (昭46経)
私は、2009年3月に退職し、4月から第二の人生が始まりました。そこで、躊躇なく一橋植樹会活動に参加しました。入会の理由は、退職にあたり読んだ本で、以下の文章に出会ったからです。
・・・江戸時代、農村も都市にも「仕事」と「稼ぎ」という二つの概念が確立されていた。
仕事とは共同体を維持するために必要な労働であり、たとえば、植林、森の手入れ、茅葺屋根の葺き替え、道普請、堰の管理などの仕事である。都市においても、祭りの差配、各種の講の世話役、町内の係りなど仕事といわれるものが存在した。仕事はお金にならず労力の提供のみの作業である。今はお金にならなくとも、何代か先の子孫のために今の自分がやらなければならない作業と言える。
稼ぎとは、自分の家族を養うための農耕や賃取り作業、都市でいえば家業である。「仕事」と「稼ぎ」が両立する人間がはじめて社会から一人前として認められる。ところが現在は、「仕事」は行政に一任し、人々は「稼ぎ」のみを行うようになった。そして稼ぎをいつしか仕事と呼ぶようになった。・・・・
この文章に接し、自己の人生を振り返って「稼ぎ」はともかく、「仕事」はほとんどしてこなかったのではないかと言うことです。退職後の活動は、是非、「仕事」をやりたいと思いました。「仕事」を捜しましたが、意外にも身近にありました。それが「一橋植樹会」です。初めて、その活動の内容を知った時、驚きました。現在、地球的規模で問題となっている環境問題に先端的に関わっていると思ったからです。環境問題への対応のありかたとしては、Think globally, act locallyといわれています。
1992年に南米のリオデジャネイロで開催された国連環境開発会議(環境サミット)で、気候変動枠組条約と生物多様性条約の二つの国際条約が結ばれました。気候変動枠組条約に関連しては、昨年、鳩山首相が、90年比25%の炭酸ガス削減を宣言し、世界から、賞賛されています。生物多様性条約では、政府は2002年に「新生物多様性国家戦略」を策定し、この中で里山の保全を大きく謳っています。日本の国土の60%以上が森林で覆われています。森林は、里山と奥山に区分されますが、最近、この里山の荒廃が目立ってきています。この状況の大きな原因は、昭和30年代後半に進展したエネルギー革命です。それまで日本のエネルギーは、薪炭、炭を中心とするものでした。農山村の住民は、薪炭、炭を生産するために山に入り作業をしてきました。この薪炭、炭の生産および里山の生活を維持する為の山野での活動そのものが、森林、里山の維持保全活動になっていました。
エネルギー革命は、石油を中心としたものでした。車の普及に伴い、石油は大量に輸入され価格も下がり、エネルギーとしての薪炭、炭を市場から駆逐していきました。人々は、山林に入らなくなり、山林は放置されるようになりました。その結果、フジやクズなどの蔓植物が繁茂し、林を構成していた樹木を覆い、木々は衰退し疎林となっていきました。林床はササが繁茂し、以前、生えていたスプリングエフェメラルと呼ばれていたカタクリ、ギンランなどが姿を消してしまったのです。
国立のキャンパスの森は、里山ではありませんが、里山と同じく、その維持の為には、
人の力が必要です。一時国立のキャンパスも放置された状態になり荒廃が始まったそうです。このキャンパスの森の危機に、一部OBが立ち上がり、植樹会を再建し月1回の作業を続けてきたとの事です。
日本の里山の回復も非常に大きなテーマですが、森林インストラクターやNPOの方々が、
それぞれの場所で、回復作業に取り組んでいるとの事です。国立キャンパスの森は、母校愛に溢れるOBが毎月40名前後参集し、森林保全の作業を実施しています。この結果、国立キャンパスではスプリングエフェメラルのキンラン、ギンランが復活したとの事です。この花を、この春の作業の合間に、観賞する事を楽しみにしています。
一橋植樹会の活動に参加する事により、念願だった「仕事」ができ、その活動が合わせて環境問題解決のための活動(Think globally act locally)になっている事を嬉しく思っています。
OBならびに現役の方がひとりでも多く一橋植樹会のメンバーになって欲しいと願っております。