「平成21年度卒業生記念植樹を終えて――記念植樹という「結束」がもつ意味」岩崎真郷 H21法

今年で早3年目を迎える卒業学生の有志による記念植樹イベントは16日、春の穏やかな晴天と盛況に恵まれ、成功裏に終えることができました。カンパにご協力頂いた40名を越える新卒業生や、大学職員ほか大勢の皆様から賜りました温かいご支援に、厚く感謝申し上げます。

さて、今回のサクラの記念植樹にあたっては、植樹記念プレートのメッセージ『成』に、3つの願いが込められています。すなわち、苗木の健やかな「成長」と卒業生の社会における「成功」、そして、イベントを通じた新たな結束関係の「成立」。実施責任者の一人として、私は何よりも、この結束成立の大切さを痛感することができました。一橋の代名詞ともいえる「卒業生の結束」と記念植樹の関係について、この場を借りて感想を述べたいと思います。

いま、結束という言葉を使いましたが、少々違和感を覚えるかも知れません。確かに記念植樹は、参加者にとって一期一会のイベントです。樹木は形として末永く残れども、昼下がりの短い時間を共にした数十人が、再び仲間として集うことはおそらくないでしょう。また、卒業という通過儀礼を祝うことが企画主旨である以上、目に見える利益還元を保証し、社会に貢献することを意図したものでもありません。特定の目的や実益が望めない当イベントは、残りわずかな学生生活のスケジュールに組み入れるだけの魅力に欠けるという印象が否めないのです。では、記念植樹イベントには何の結束もないのでしょうか。あったとしても、有意義な結束ではないのでしょうか。

私は、イベントに参加する卒業生が、多種多様なコミュニティに所属していること、短い時間であっても、サクラの苗の前で独特の連帯感が生まれることが、記念植樹ならではの「意味ある結束」だと考えています。サークル、ゼミ、インターン――4年間の大学生活で私たちは、共通の目標に向けて日々切磋琢磨する「結束」空間に、身を置いてきました。それらは、到達地点を意識した固い結束を生み出すと同時に、ゴールありきの、やや窮屈で排他的な人間関係を再生産し続けていたことも、また事実です。この点、記念植樹イベントには、卒業生であること以外に参加要件はありません。高邁な目標の前に、集う者を拘束するようなことも皆無です。もはや結束とは言いがたいという意見もあるでしょう。それでも、自由度の高い結束のあり方について、記憶に留めていることは無駄ではありません。門戸を広く構えることで「ソト」の人と時間を共有できること、直接的な利益がなくても、その行為がいずれ他者の役に立つ(キャンパスに緑を提供する)ことを自覚すること。いずれも、極めて重要な姿勢だと言えると思います。記念植樹は、私たちが誇る「結束」の意味を、自分なりに見つめ直す機会となりました。

如水会には、サークルや居住地の支部等を単位とした半永続的・実利的・均一的な結束の場が、豊富に整備されています。私たちも卒業を機にその一員となり、社会内部で相互の結束をより強めてゆくことでしょう。その時、一時的で実益もわずかだが、多様な集団の人間が一同に会しキャンパスに植樹したという、特殊な結束の思い出は、文字通り貴重な財産となるのではないでしょうか。記念植樹イベントが将来も、魔謌不思議な結束を作り上げ、母校や卒業生を活気づける「隠し味」として広く認知されることを期待します。