「2010年7月玉原研修に参加して」作業班 川﨑勝晤(昭46経)

7月24日から25日にかけての玉原の研修に参加しました。

植樹会からの参加者は6人(旗野、志田、八藤、湯川、中居、川﨑)でした。私にとっては、目を開かせられた事の多い非常に有意義な研修でしたので、その事を中心に、記載いたします。

(1)「ブナ林」の意味

今、日本の樹木のスターは、ブナだと思います。以前のスターは、杉やヒノキでした。

ブナは、漢字でと書きます。木偏に、無です。「木で無い」という意味だそうです。狂いやすくて扱いにくいので、建築用材にはまず使われなかったそうです。その為、60年代以降、大規模な造林事業で、杉やヒノキの植林地に変えられたそうです。しかし、その後の、ブナの水源涵養機能と、森の美しさが見直され、白神山地の林道開設阻止、世界遺産の登録などかから、俄然、脚光を浴びるようになりました。この研修の参加の動機は、日本海側の「ブナ・チシマザサ群集」と言われるブナ林を見てみたかった事と、この森の保全にリーダ的役割を担っている 「NPO法人玉原の自然を守り育てる会」(以下「育てる会」)の活動の中身を知りたかったからでした。

昼前に玉原に到着し昼食後、早速、ブナ平への植林活動を始めました。当初は、ブナの植林と単純に考えていましたが、当日、配布された苗は、ブナではなく、トチノキ17本でした。「ブナ」単体の保護活動をしているのではなく、ブナを優占種とする「ブナ林」の復元と保護活動を実施している為との事でした。玉原の自然と景観は、ブナのみで成立しているのではなく、ブナを中心とした各種の植物の総体として成立しているという意味だと思います。それでこそ、植物だけでなく、動物も含んだ生態系の保護になるのだと感じました。植え付け場所のブナ平に着くまでに、熊が木に登った爪跡も観察する事ができました。残念だったのは、様々な鳥の鳴き声を聞きながら、声の鳥の名前が分からなかった事です。

植え付け場所も、ブナの木の間ということで、笹の生い茂る中に、「育てる会」の

皆さまが、植栽場所の目印を付けておいて下さいました。また、植栽木についても、幹周り長、樹高などの記録をつけ、科学的な管理を心掛けている事にも、頭の下がる思いでした。さらに、苗自体も購入したのではなく、自分たちで種から育てたそうです。植込みは、かなりの力仕事でした。植込みに適当な大きさの穴を掘るには、地中にあるチシマザサの根を切らねばならず鍬を振るう仕事です。しかしながら、この力仕事が今回の仕事の華なので、大部分を先輩にお任せせざるを得なくなり心苦しい思いをいたしました。

ブナの生命力、忍耐力にも驚きました。笹原に埋もれて丈が20~30cmぐらいの木が、植栽後20年経っているとの事でした。目印で、植栽年がわかるそうです。笹に埋もれて光不足で成長できないとの事でした。光を十分に獲得できるようになるまで、その場所で待っているという事です。

ここで、驚いた事は、ブナを伐採する為の集落があったという事です。日本は山国であり、自然を愛する国民だと思っていたのですが、時代や、環境の変化で、少し行き過ぎた対応も起こるということだと思います。自然を守り、樹木を守るということは、個々人のハイレベルな意識と、それをとりまとめるリーダシップが必要なのだと思いました。

(2)玉原湿原

玉原湿原は、武尊岳の山麓にあるブナ林に囲まれている湿原です。「小尾瀬」と呼ばれている貴重な湿原です。2日目の午前中は、宿のオーナーの堤氏の案内で、この湿原を観察いたしました。我々6人に加え同宿の4人の女性がこの観察会に参加しました。湿原のスターである水芭蕉の季節は終わっていましたが、コオニユリ、コバイケソウ、アスナロなどを観察する事ができました。この湿原の問題点は湿原が乾燥してきている事だったそうです。その為、福島先生の指導も下、「守る会」のメンバーが乾燥化防止の活動をされています。当初、この乾燥化は地球温暖化が原因なのかと思いましたが、然に非ず、戦前に陸軍が馬の為の牧場を作る為にこの湿原の乾燥化を計画したとの事です。自然の水の流れをせき止めたりしたそうです。戦後しばらく、放置されていたとの事で、乾燥化の証である葦などが生えてきたそうです。

第二次大戦は、原爆や戦車などの科学兵器が発達した時代です。その時代に、軍馬の生産をして戦争に勝てると思っていたとしたら、陸軍は相当に遅れていたと考えざるを得ません。戦争に負けるのも無理はないと思いました。

(3)玉原を楽しむ女性

宿泊は。「育てる会」の定宿「つつみスクエア」でした。同じに日に宿泊した4人連れの女性のリーダーが、玉原高原は、春の新緑、夏の避暑、秋の紅葉、冬のスキーと1年中楽しめるところなので、孫を含めた家族で、10年前から、「つつみスクエアー」を利用しているとの事でした。宿のオーナーの人柄に加え、「育てる会」の地道な活動の成果を、この女性は高く評価をしてくれているのだと思いました。