「一橋大学国立キャンパスの緑地管理計画」東京農工大学農学部教授 福嶋司
1、はじめに
今日は最初に、緑とは、あるいは緑を守るとはどういうことか、という話をさせて頂きます。次に、いちばん私たちの生活に身近な緑、つまり武蔵野の雑木林をどういうふうに見ればいいか。そして今後望まれるその姿についてお話します。そして、その武蔵野の雑木林の基本的性質が残っている一橋大学の国立キャンパスについて、そのあり方について考えたいと思います。そして最後は、実際に管理するために今どんな計画を持っているのか、そしてどういうふうな作業をしているのかについてお話したいと思っております。
2、緑を守るとは?―自然保護
ではまず緑を守るというのはどういうことか。そこからお話をしていきたいと思います。緑というのは単に一色で塗られるものではなくて、さまざまな植物の集合体です。それは植物群落と言われるものです。そしてその植物群落というものは、置かれたさまざまな環境の中で生活しているわけです。日本の環境は一部高山などを除くと植物の生育にとって決して悪い環境ではありません。しかし、高山の植物や湿原の植物は苛酷な環境に適応し、あるいは耐えて生活しているわけで、環境の変化に敏感で、弱いものです。そこで植物を守るためには「脆弱性」というのも非常に重要になってきます。
次に緑を守るという守り方なんですが、私達はこれを「自然保護」と、一言で言ってしまいます。これは日本人が作った都合のいい言葉です。皆さんよく耳にされる言葉として自然の「保護」という言葉、あるいは自然の「保全」という言葉、あるいは自然の「保存」という言葉などがあると思います。そういうふうな言葉の意味を全部合わせたのが日本の「自然保護」という言葉なんですね。それぞれの言葉によってぜんぜん意味する内容が違います。ご紹介しますと、まず「保護」というのは今あるものに外部から加わったインパクト、あるいは害を取り除いて守ること。それから「保存」というのはそのままにしておく、存置しておき、手を加えないで自然の状態で保つこと、これが「保存」です。それから「保全」というのは、守る対象物を保護・修復しながら貯金で言えば元本は崩さずに利子だけを利用するという概念です。ですから「保護」と「保存」と「保全」というのは意味が違う。ところが日本の場合は全部一緒くたにしていますので、自然保護といっても、それぞれの人で解釈が違ってくるわけです。国立キャンパスの中に生育する貴重な植物や植物群落は「保護」しなければなりませんし、キャンパス全体は「保全」する必要があります。
3、国立キャンパスの緑―武蔵野の雑木林の名残としての緑
一橋の国立キャンパスというのは武蔵野の雑木林、この名残だということをお話しましたが、武蔵野の雑木林というのはいったいどんなものなのか。雑木林と言いますが、実は「雑木林」という林はないんですね。では、どういう意味なのかというと、これは林業の言葉で、有用材としてのマツ、スギ、ヒノキ以外は全部「雑」なんです。用材として使えない木を「雑」と呼んだ。その林は雑木林(ザツボクリン)ですね。それを雑木林(ゾウキバヤシ)と呼んだのです。
では、その起源は何か。これは意外と新しいんですね。特に武蔵野に雑木林が形成されたのは江戸時代のはじめからです。一六五四年に玉川上水が引かれました。それによって江戸の水が確保され、その後一七〇〇年代にその水を使って畑の開墾が行われたわけです。ところが開墾地は冬に空っ風がめちゃくちゃに吹き、家の中に砂や土がどんどん入ってくる。これはたまらない。それを何とか防ぐために、木を植え林を造成した。これが雑木林を積極的に作った一つの理由です。もちろんただ風を防ぐだけではなく、生活資源としての薪や炭を得るために雑木林を造った面もあります。最初の造成から四〇〇年間武蔵野の雑木林は、第二次世界大戦直後までは営々と維持され、利用されてきました。ところが戦後、ご案内のように薪や炭から石油、ガスへの転換という燃料革命が起こり、それまで堆肥として利用していた落葉から化学肥料への転換で雑木林の利用価値が低くなり、雑木林はそのまま放置されるようになったわけです。
雑木林を今お話してきましたけれども、雑木林というのは過去の歴史を背負い、手の入れられ方の違いで様々なかたちをしております。春に美しい花を咲かせるカタクリ、イチリンソウ、ニリンソウ、ギンランなどの生育場所でもあります。それをどうしていくのか、ということがやはり重要な問題になってくるわけです。
キャンパスの緑というのは、三つの価値を持っていると思います。一つは教職員、学生の生活環境としての緑。そこに生活する人が直接接する緑、あるいは修景効果を期待する緑です。実はこの緑は人間だけではなくて、野生の動植物にとっても同じで、生活環境としての大切な緑、ということになると思います。
二つ目は国立市の中で緑のあれだけ大きなまとまりがあるのは国立キャンパスしかありません。ということは国立市民にとっても非常に重要な緑です。
三つ目は先ほどからお話しておりますように武蔵野の雑木林の姿を今もって残している緑、つまり歴史的な価値を持つ緑だということです。その緑というのは多様で、管理をしなければだめな場所と、しなくてもいい場所がありそうです。その管理は所有者がするしかないわけで、やはり大学が自信と責任を持って、一つの方針で管理する必要があります。そこから今回のキャンパスの管理計画の策定という動きが起こってきたんだと思います。
4、一橋大学国立キャンパスの緑地管理計画
そこで本題ですが、私も加わって立案した一橋大学国立キャンパスの緑地管理計画についてご紹介しましょう。
その背景には幾つかの要因があります。一つは先ほどからお話しておりますようにキャンパス内には武蔵野の雑木林の面影を残しながら、しかもいろんなタイプの植物群落が分布している事実があります。ところが永年放置されてきたことから、自然に生育した木、樹木間の競争によって枯死した木、あるいは被圧を受けて弱っている木、これらの木々が非常に増えております。また雑木林の中にモウソウチクが拡大している場所もあります。さらに全域にみられることですが、クズ、フジなどのつる植物が植物の上をカバーして、木全体を枯らしてしまっています。このように、問題のある場所が各所で見られます。それから全体的に落葉樹から常緑樹への交代に示される植生遷移が進行しています。これは放置した結果、もともと自然にある植物群落に移行しているということです。このような状況の中でキャンパス環境のクオリティーをいかにして保つか。こういうことが求められているという背景がございます。そのためには、まず現状をきちっと把握して、一橋大学としての一〇年、三〇年、五〇年先を見据えた緑地基本計画を作り、それに沿ってその魅力あるキャンパスをつくっていく。そういう考え方が背景にあったわけです。
次に、今回の計画の作成にあたっての基本的な進め方について説明して参りましょう。まず最初はキャンパス内の緑を利用区分で分けていくことです。どういうふうな緑の質なのか、またどのように利用がされているのか。そういう観点から地域区分していく考え方です。
二つ目は地域区分したゾーンをさらに細かく分けて、その細かく分けた中を、現状がどうなっているかを詳細にチェックし、将来どういうふうな姿にしていくか、そのためにどのように管理していくのか、それを示した一枚のカルテを作ることです。
三番目にはカルテに示した計画の基に、誰が管理を行ってもそのカルテを見ながら作業していけば一貫性があり、同じような結果が得られること。そういうふうな管理方法を考えたことです。
四番目としては人間の立場だけではなくて、どういうふうな植物や植物群落がどこに分布しているのか。キャンパス内にはどんな鳥類がみられるのか。その調査をやり、その結果をこの計画に反映させれば、野生の生き物の立場からのキャンパスの自然の利用、人間の側から見た自然の利用、そのような全体的な自然の利用と保護ができるのではないか、と考えたわけです。
では最初にゾーニングについてお話します。地域区分ですが、東キャンパスと西キャンパスの緑地の現状とキャンパスレイアウトをイメージしながら検討しました。人がたくさん集まる場所とか、あるいは散策して花木を楽しむ場所、自然を残す場所など、段階的な場所を設定します。具体的には「緑地のゾーニング」として、以下の六つの観点で六タイプに分けました。
一番目は開放を視野に入れた庭園ゾーン。人がいちばん出入りをし、またそこに座って憩う、そういうふうな空間。あるいは窓の外にきれいな低木がある、あるいは花が咲く場所がある、それが開放を視野に入れた一番目の庭園ゾーンです。
二番目は花木を中心とした植栽ゾーン。これはサクラをはじめ、さまざまな花木が植わっている場所です。今、植えられた花木を生かした、四季の変化を楽しめるようなすっきりとしたゾーンです。 三番目は武蔵野の雑木林の面影を維持するゾーン。これが昔、昭和の初期に一橋大学が国立に移って来たときにあった原風景で、雑木林の植物の構成、植物群落をなるべくそのままを残すゾーンです。 四番目は手を加えず、現状のまま保存するゾーン。このゾーンの自然にはいろんな効果が期待できます。たとえば鬱蒼とした林があるので外からのあの車の音が遮断され、また内外からの砂塵の出入りが防げる。防風、防火効果もある。そのような公益的機能が放置しておくことによって十分に発揮されるゾーンです。
五番目は人工的手法でバリアの機能を持たせるゾーン。これはいま林はないんですが、そこに林を新しくつくることによって四番目の機能を期待できるゾーンにつくっていく、という考え方のゾーンです。
六番目は草地、ススキ草原などのゾーンです。これは、せっかくキャンパスが広いわけですから、秋の七草を楽しめるぐらいの空間があってもいいだろうというので、ススキを生やして中秋の名月を愛でたらどうかと。遊び心のあるゾーンです。
このような考えで全域をゾーンに分けました。次にこの六つのゾーン内での性質のちがいをさらに詳しく知るために各ゾーンを細かく分け、全部で地域を五十一に区分しました。
次に実際に国立のキャンパス内に分布する植物群層がどういうふうな階層構成になっているのかを示すために高木層、亜高木層、低木層、草本層に区分したさまざまな組み合わせを考えて十五タイプに区分しました。そう分類結果を模式図で示すことによって現在がどのようなタイプで、管理によって将来はどのタイプにするかを一目瞭然に示すことができます。
また、カルテというお話をしましたが、この緑地管理のために「緑地管理シート」というカルテを作りました。地域区分を細かくやったところで、まず現状がどういうタイプであり、それをどういうタイプにもっていくか、という模式図を選びます。そのためには、階層ごとに、どういうふうに手を入れていくか、ということを検討します。このような内容を含むカルテが五十一枚できたわけです。
ただそれだけではなくて、キャンパス全体という見方も必要です。やはり管理をしていくためには、一方では伐らなきゃいけない部分、他方では植えなきゃいけない部分がでてきます。そこで、キャンパス全域のどこの木を伐採し、どこに何を植えるかという計画を作りました。
また、やはりキャンパスの中というのは人間が生活するだけではなくて、さまざまな動植物が生活をしています。そのために注目すべき動植物をチェックする必要があります。そこで、まず「注目すべき植物」の分布を調査して、これに関しての図を作りました。この図に示された場所に生育する植物は今後も保護していく必要があります。学生さんが鳥に関しての「野鳥分布飛来図」を作ってくれています。これらの資料は国立キャンパスの自然の豊かさを示す財産目録でもあります。また、将来、同じ調査をすればキャンパスの環境変化をも教えてくれるでしょう。
5、緑地管理の基本的な立場
管理に際して、最初にみんなで議論したのが以下の二つのことです。一つは伐採で出てきた樹木、枝葉あるいは草刈りで出た草、このようなモノを一切、ゴミとして構内から外に出さないこと。ゼロエミッションの考え方を一つの原則にしました。その結果、伐採した、特に大きなヒマラヤシダはベンチになっていますし、枝葉はチップになってその周りに敷かれています。二つ目はどこの大学も同じですが、こういった管理に関する経費は大へんわずかしかありません。従って最低限の経費でやるようにしようと考えました。そのために一橋植樹会、教職員、施設課の方、あるいは学生さんなど、全員がボランティア活動的で、できることからやろうということになりました。そしてどうしても素人ではできないところにはお金を掛けてきちっと管理しようということになりました。この二つの考え方で作業を行い、これが現在もつづいております。
このようにいろんな人が集まってせっせと汗を流して作業をする。その成果は目の前に見えてきています。ぜひキャンパスに足を運んでみて下さい。昔のキャンパスと相当変わってきていると思います。
今後も、そのような管理計画の下、維持・持続可能なキャンパスにできるように、そして、すばらしいキャンパス環境となるようにみんなで頑張っていきたいと思います。