2025年春の学外研修実施報告

井形信一(昭50経)

【実施日】 2025年5月19日(月)、20日(火)
【参加者】 15名。福嶋司(講師・顧問)、筒井泉雄(顧問)、中居紘一(昭38経)、関戸康夫(昭40社)、津田正道(昭42商)、樋浦憲次(昭45経)、谷中健治(昭45社)、河村進(昭49経)、小山修(昭49法)、須藤佳夫(昭50商)、飯塚義則(幹事・昭50経)、井形信一(昭50経)、井田武雄(昭51商)、柳原正則(昭52法)、善宝俊文(昭52法)。
【場所・目的】 新潟県魚沼地方(南魚沼市、十日町市と津南町)における雪国特有の自然の観察とそこに育まれた歴史や文化に親しむ

本年度の春季学外研修は、目的地におけるこの冬の大雪のため、残雪が多く予定の一部変更を余儀なくされましたが、2日間を通して五月晴れのもと快適な環境の中で実施されました。

5月19日(月)、朝7時30分、国立駅前に集合し、いつもの松竹観光のマイクロバスで出発。運転は小園井さん、今回で5回目となるお願いです。関越道では、福嶋先生より、群馬県沼田市付近の利根川や片品川の河岸段丘の説明や樹木や植物に関する説明があり、外来種であるニセアカシアがどこにでもみられることの由来や花の天ぷらが美味であること、横に広がる枝いっぱいに花をつけるミズキの特性、太平洋側は先が丸く、日本海側は尖っている杉の特性など興味深い話を聞くことができました。また、幹事からは利根川に見られる河岸段丘と後に見学する日本一といわれる信濃川の河岸段丘の違いをしっかり見てくださいと話がありました。

塩沢石打ICで降りて昼食。最初に越後随一の名刹といわれる、曹洞宗の古刹、雲洞庵を訪れました。幹事よりその縁起や関東管領上杉憲実により16世紀の後半に再興された寺院であること、NHKの大河ドラマ「天地人」で取り上げられた上杉景勝と家臣、直江兼続がともに幼少時に学んだお寺であることなどの話を聞きました。「越後国一の寺」の額が掲げられ、まず。一句「万緑の光差し込む一の寺」。友人の添削で「万緑や寂光包む一の寺」。景勝、兼続に対する北高全祝禅師による論語「君子は義に喩り、小人は利に喩る」の薫陶の図を見学、福嶋先生より境内に立つカツラの雄木の巨木を観察しながらその雄木と雌木の違いなど説明を受けました。広い境内は森閑とし、高名な禅道場であったその雰囲気を残し、地域の皆さんの努力によってきれいに掃き清められていました。

雲洞庵の後は、霊峰八海山の麓に建つ八海神社を参拝しました。両脇に数多くの杉の古木の立つ参道は400メートルにおよび、その傍らには御嶽信仰と深い関わりを持つ修験道場もあります。神社の周りは、清流が水飛沫をあげて流れ、雪国特有の植物も豊富で、ユキツバキ、ヒメアオキ、オオウバユリなどを眼にしました。太平洋側のヤブツバキと日本海側のユキツバキの違いや両面シダの説明を受けながら、境内の散策を楽しみました。社務所の傍らでは、初老のご婦人がゼンマイを乾していて、茹でてゴザのうえに広げ、灰汁抜きのために揉んでいました。今では珍しくなった雪国や東北地方の山間地でよく見られたゼンマイの加工風景です。八海神社に着く頃は雲もすっかり上がり、八海山の雄姿をしっかりと拝むことができました。

次は、魚沼丘陵を超えて十日町市に向かいます。魚沼丘陵は十日町盆地と六日町盆地を隔てる南西から北東方向に向かう長い丘陵で、最高地点が標高1,000メートルほどで北に行くほど低くなっています。逆断層によって隆起し、東側の六日町盆地側の斜面が急で、魚沼層群と呼ばれる2500万年前から258万年ほど前の砂や泥、礫の層からなっています。開析が進み、深い谷が随所に削られ、そこにはまだ雪が残っていました。

途中で、後山集落の「後山ブナ林公園」に立ち寄りました。30分程度で回れる小さなブナ林でしたが、見事な自然林で、タムシバ、ユキグニミツバツツジ、マルバマンサク、オクチョウジザクラ、オオバクロモジ、オオイワカガミ、イタドリなど多くの雪国の植物を眼にしました。タムシバは雌性先熟のモクレン科の植物で同じ花の中で受粉が生じない仕組みを持ち、喉の渇きをこの花を食べて凌いだため元々はカムシバといったのがタムシバとなったそうです。福嶋先生は日本海側と太平洋側のブナの葉の大きさを比較研究中で、ブナの葉を収集していました。日本海側は多雪で雪の重さに耐える必要があり、また湿気のある環境であること、日照時間の制限があることなどから日本海側のブナの葉は大きいというお話でした。展望台からは八海山、越後駒ヶ岳を一望でき、周囲の山並みと重なりあって、まさに絶景でした。信濃川対岸の頸城丘陵とその麓に幾段にも層をなす河岸段丘を眼にしながら、十日町高校の脇を通り17 時前に到着しました。

宿では、持参した日本酒を堪能しながら、いろいろな話に花が咲きました。なかでも近時の街路樹などの丸坊主状態になる剪定方法に対する見方として、「樹格」を守る大切さ、科学的視点の必要性について話が盛り上がりました。また、ほぼ全都道府県で樹木の維持管理が不十分であることや、学内においては東本館の時計台の景観確保の対策が必要であることなどの議論もあり、今回の旅行の目的が最大限に発揮された一時でした。

2日目は。8時前に出発。津南町の苗場山麓ジオパーク巡りです。信濃川や両岸に形成された広大な河岸段丘 を目にしながら、清津川、中津川、信濃川と渡って、まず、川の展望台に。川の展望台は標高450メートル余の高台で、そこからは信濃川と中津川の流れ、その両岸に形成された河岸段丘の風景を目にしました。まさに絶景です。これらの河岸段丘は長い年月を経て形成されたもので、海進・海退に影響される河川による浸食、地殻変動による隆起によるもので、日本海形成の歴史とも関係があるのかもわかりません。

次は、多雪地帯の気候のもとでの酒作りの現場を見学するため、津南醸造を訪問しました。冬の寒い時期にしか仕込みを行わないこの酒蔵は年間800石前後の仕込み量で、従業員7名で経営されているとの話でした。豪雪地帯の中での醸造で、軟水である湧水のみを使用しているとの話で、西日本の硬水を使用した酒との味の違いも説明していただきました。冬の豪雪地帯、豊富な苗場山麓からの湧水など、絶好の自然環境の中での営みです。

酒蔵見学の後は秋山郷の入り口にあたる「見玉集落」の見玉公園を訪れ、中津川を挟んで対岸の大岩壁の「石落とし」を見学しました。公園内にはブナの林があり、オオヤマザクラやオクチョウジザクラが花を咲かせていました。雪が多かったせいか枝や幹が折れた木も散見されます。この辺りの地層は、魚沼層を基盤として、苗場火山や鳥甲山の火山活動による溶岩流や火山灰が滞積したものがそのうえにのっていて、溶岩流は固結する時に柱状節理を作ります。石落としは、隆起した大地とその上にのった苗場溶岩流の柱状節理が中津川によって侵食されてできたもので、河岸段丘の層構造が実に良く現れています。

石落としの後は見玉不動尊に参拝しました。この不動尊の歴史は古く、秋山郷に根強く残る「平家の落人」伝説とも深く関連しています。お寺は平清盛の臣下によって830年前に開山されたといわれていますが、眼病にご利益があると信じられ、多くの参拝者が訪れます。お寺は中津川の段丘崖を背後に控え、豊富な清流が滝となって境内を流れ落ちています。また苗場火山の溶岩流の名残と思われる巨大な岩塊が随所にあり、そこに根を張るトチノキやホオノキ、ケヤキなどの巨木は圧巻です。門前の可愛らしいクリンソウ、渓流脇のコチャルメルソウ、手水場や岩上の欅などなど、自然と信仰の共存を実感した一時でした。

最後の訪問地は、竜ヶ窪湧水池です。ここは名水百選にも指定されていて、日量43,000トンの湧水は周辺の田畑を潤し貴重な水源として機能しています。池の水は透き通るようで、周囲の緑と透明な池の美しさを堪能しました。因みに、この池の湧水は苗場溶岩流とそのうえに形成されたローム層の間から湧き出て、水年齢は40年くらいだといわれています。龍ヶ窪の池の見学を終え、駐車場前の「里のほほえみ」で昼食をとり帰路につきました。時間は13時過ぎでした。

途中、湯沢IC手前でお土産を購入。笹団子が大人気でした。高速道路は順調で、18時に国立駅前に無事到着し解散しました。二日間で良く聞かれた言葉は、河岸段丘、雪、信濃川、苗場山、ブナ、杉、蕎麦などなど。今回訪れた、この地域は自然が豊かで、観光資源も豊富!縄文の国宝・火焔土器を始め、温泉、名所・名刹・旧跡、山々、川、渓谷、滝などの絶景・・・。是非再訪したいと思います。今回の研修では、関東とは異なる地質や自然環境における樹木や花々、文化遺産などなど、多くのことを学ぶ機会に恵まれました。