「桜ライン311プロジェクトに参加して」一橋植樹会学生理事 古川智子(法4年)

2012年3月11日、一橋植樹会の有志の一人として「桜ライン311」というプロジェクトに参加しました。 陸前高田市における津波到達点に1万7000本(予定)もの桜を植樹し、170kmに及ぶ桜木のラインを結び後世の為に記憶を残そうというプロジェクトです。学生理事の中西晶子さんの呼びかけにより、多くのOB・OGの先輩方、学生の皆さんにこのプロジェクトの趣旨にご賛同いただき、ご支援を賜りました(植樹会定期作業にて、個別で寄付を募らせていただきました)。皆様の温かいご支援、応援に重ね重ね御礼を申し上げます。ありがとうございました。

この場をお借りし、当日の作業報告と私が被災地を訪れて思ったことを述懐いたします。

今回のボランティア活動参加が私の初めての被災地入りとなりました。陸前高田を訪れ、衝撃を受けました。陸前高田は、見渡す限り一面に茶色い地面が広がっていて、所々池のような水たまりがありました。最低限整備された道路と、残された家々の基礎が、かろうじて「ここに街があったこと」を認識させてくれました。ただ、橋も落ち、信号も標識もなく、目的地の目印さえなく、車のナビが表示する街とは全くの別物でした。桜ライン311の集合場所は何もない場所でしたが、ぬかるみがひどく、木材やコンクリートの欠片などがたまに見受けられました。この場所は誰かの家があったところなのでしょうか。そんなことを思いながら、陸前高田の地面を踏みしめました。当日は全国各地からボランティアが300人ほど集まり、またメディアの方も多くいらしており、この桜ライン311に対する関心の高さが窺い知れます。

私たち一橋植樹会チームが担当したのは、矢作町の個人の方が所有する敷地でした。その場所は陸前高田市の市街地と呼ばれる場所からは少し離れていて、周りを小高い山に囲まれた、海の見えない、津波が押し寄せたとは到底思えないような土地でした。ただ、よく見渡すとガードレールが異様に曲がっていたりするなど、あちらこちらで津波の痕跡があり、その威力を物語っていました。

今回私たちが植樹した場所

植樹したのは、オオシマザクラです。まだまだ小さく細い苗木でしたが、植樹場所によっては急斜面だったり、土が凍っていたり、砂利が多く植樹にあまり適していない場所もあり、作業も思いのほか重労働となりました。今は、何の変哲もない山里の風景が広がっていても、きっと、一年前には信じられない光景が目の前にあったのだろうと思いました。ここで津波が止まった、つまりここまで多くの物や、もしかすると人が流れ着いた場所なのです。午後2時46分の黙祷では全員で祈りを捧げ、そして、今日植樹した桜たちが無事に成長し、きれいな花をつけ、この町を守る大樹になってほしいと願いを込めました。

植樹した桜の苗木

この桜を見て、被災地の方々は何を思うのでしょうか。何年先になるかはわかりませんが、完成された桃色のラインを見て、何を思うのでしょうか。朝の開会セレモニーで、地元の方が「私たちは咲いた花を見て自戒し、散っていく花を見て亡くなった人の無念を思い知るのだ」とおっしゃったことが今でも胸に突き刺さります。実際に被災していない私は、十年、二十年後にまた陸前高田を訪れたとき立派に育った桜を見て何を思うのでしょう。「きれいだなぁ」という感想で終わらないように、この植樹活動に参加したことがただの思い出にならないように、これからもできる限り被災地に寄り添える活動をどんな形であれ、続けていきたいと思いました。

最後になりましたが、今回の桜ライン311への参加を通して、改めて「植樹」という活動の素晴らしさを知ることができた気がします。高田松原の奇跡の一本松が象徴したように、過酷な状況でもしっかり根を張り天高く伸びる木々は、生命の力強さを私たちに感じさせてくれました。そんな木々のはじまりも、遠い昔の誰かの手によって植えられた小さく細い苗木だったと思うと、今回の桜ライン311も、私たちが普段大学のキャンパスで行っている植樹活動も、とても尊いものに思えてくるのです。それを実感できる貴重な経験ができたことを、一橋植樹会と今回の活動に誘ってくださった中西先輩に、心から感謝いたします。