「ハンブルグから国立まで」田中 幹夫(昭57法)

父がトーメン(当時)に禄を食んだ関係で、私は小学校から中学にかけてハンブルグの現地校に通った。 当時の帰国子女には帰国後外国剥がしという悪ガキ共による儀式が待っており、私もドイツ的なるものを自然考えないようになっていた。しかし40代も終わりになって振り返ると、私の場合は僅か4年半の小中学時代の多感な一時期の体験が潜在意識下深く刷り込まれ、私一個の爾後の人生に大きな影響を与えている事を認めざるを得ない。

現在は弁護士約100名の東京の法律事務所の共同経営者に落ち着いているが、大学院は英国、その後ベルギーとドイツの巨大法律事務所でも働き、幼少時を通算すると在欧期間は15年を数えた。現在も国内出張より海外出張の方が多く、特に日独間は全航空会社のダイヤを諳んじている程の独逸出羽守だ。また、現在日露法律家協会という小団体(マイナーではあるが昨年11月にはロシア最高商事裁判所のイワノフ長官の招聘に成功し12月17日付日経にも小さく紹介された)の事務局長をしているが、その契機はフランクフルト勤務時に一時期その法律事務所のモスクワ事務所を兼務していた事にあり、更に記憶を手繰っていくと、ハンブルグ時代に通っていたギムナジウムでの第二外国語がロシア語だった(他の選択肢はラテン語しかなかった)処に行き着く。
仕事面以外でも、「カッコいい車」の基準は今も60年代後半のドイツの路上で後光が射していたBMW2000CSという日本では無名の華奢なクーペだし、美人の基準も当時日本人補習校(全日制の日本人学校はまだ無かった)で輝いていたあの子だし、そして町というものはこんもりと緑に覆われていなければならなかった。

ここまで長々と書けばおわかりのように、私の植樹への情熱の源泉も、恥ずかしながらハンブルグ時代に刷り込まれた美意識から来ているようだ。ハンブルグは北方の杜の都だ。私が子供の頃住んでいた同市郊外のVolksdorfという町は巨木が鬱蒼と生い茂る森の中に北ドイツ独特の赤紫色のレンガ壁に白い窓枠の家が点在する、緑が目に沁みる美しい町だった。一都市で州の地位を有し独自の州法を有するハンブルグ特別市は住宅地の中の道路も電柱埋設は勿論、並木道(しかも20m以上の巨木の放列だ)の整備に努め、森に住んでいるようだった。
反対にヘッセン州では並木への激突による死亡事故減少の為車道から並木まで十分な距離の確保が求められ並木道Alleeは激減、丸坊主又は半坊主(片側並木)となりつつあり、多くの民家の白壁に赤茶色の窓枠という垢抜けない色彩とも相俟って、初めてフランクフルトに来た時は「ここはドイツに非ず」と思った程だ。ちなみに帰国後現在の事務所に所属した理由の一つは、眼前一面漫々たる皇居の森で、緑化率の低い東京の都心に居ながら緑と共に仕事ができる点が痛く気に入った為だ。

学生時代は時間が有り余っていた(と誤解していた)ので、縁のあった場所にもなけなしの貯金で苗を買い、電車で持ち帰り、自ら植えた。
(1) 高校から大学にかけて住んだ葉山町の新興住宅地の公園内にUターン路を通して造ったバス停にはそのUターン路に沿って並木を植えた。ここは12本皆立派に育ち、手前味噌ながら首都圏で屈指の美しさを誇るバス停になったと自負している。

(2)国立キャンパスにも植えたが、国有地なので手続が煩瑣で、まず木を寄付させて戴く許可を大学管財課から得る必要があった。しかも許可の下りた場所の多くが子供の自転車が行き交う空き地で、僅か1mのひょろひょろ苗しか買う予算が無かった学生の私はこれらは捨て駒と諦め(案の定多くが折られてしまった)、数年前に国立を訪れた時は、全12本中、図書館本館前のミニ築山の一角と守衛所脇に植えた4本のみが育ち、立派な大木となっていた。

(3)大学キャンパス内に植える事の面倒さに懲りた私は、留学先のケンブリッジではキャンパスではなく借りていた家の庭に植える事とした。元教授が学生に安く貸していた、ハリーポッターに出てきそうな(幽霊屋敷みたいとの声もあり)築90年余の家で、公園のように広い見事な英国庭園に桜を寄付した。英国は築百年など珍しくなく室町時代末期の築で現役の建物すら散見されるお国柄、末永く花を咲かせてくれるよう桜も樹齢の長いものを選んだ。その後、ベルギーでの研修、ドイツでの勤務も終えて日本帰国前に桜の生育状況の確認も兼ねてケンブリッジの家を訪れたところ、元教授の死後未亡人から土地を買った米国の会社が新社屋を建設するとかで重機が屋敷と桜もろとも庭園をバキバキ破壊している真最中で、しばらくモノも言えなかった。

仕事で忙しくなったのと上記(3)のトラウマで植樹への情熱を失っていたが、この度大学のOB会で一橋植樹会の方にお声をかけて戴き、久しぶりに緑化活動にかかわる機会を得た。

国立キャンパスは武蔵野の面影を残す赤松や椚の自然林と人工的な庭園というコンセプトが異なる緑地が並存する点がユニークで、特に前者のコンセプトは北ドイツの鬱蒼とした森が深層心理のどこか深いところで漂っている私の深く愛するところだ。
都内の大学で、一橋ほど樹齢の長い巨木を多く残した見事なキャンパスは稀だろう。このような美しい庭園の保存に、微力ながら寄与できることを名誉に思う。皆様、よろしくご指導お願い申し上げます。

以上