「初の植樹会史編纂の大役を終えて」植樹会史編集委員会

「『植樹会史』を編纂しよう」と加納前会長が発議され、鈴木徹郎氏(昭39社)の地道な資料集めが始まりました。『如水会々報』をはじめ、収集された資料はホルダーにして約10cmにものぼる膨大なものになっていました。これら資料から簡潔な年表を作成し、幹事会の席上に提示されました。

収集された資料2冊分

こうした鈴木氏の地道な努力を受け、昨年9月には『植樹会史』刊行が正式に決定、以後の作業が広報班に託されました。

4人から成る広報班員が集まっての第1回編集会議は同年11月に開かれました。12月には骨格の原案が固まり、鈴木氏の資料を基に愈々具体的な作業に取り掛かりました。

年が明けてからは寄稿をお願いする方々への打診、座談会企画の出席者へのお願いが始まりました。幾つかの骨格の部分修正を施す内に、早や3ヶ月を経過。4月の座談会開催、編集作業と進める内に、早くも6月。当初予定より大幅な遅れをみせていました。

初めての『植樹会史』編纂であるだけに、手探りで作業する心細さもありました。7月には印刷用版下も出来上がり、挿入写真の選択、最終校正・装丁検討を経て8月にようやく印刷手配に持ち込めました。広報班が携わってから10ヶ月を要していました。

骨格作りでは議論を重ねました。

「先人の貴重なご尽力の足跡、埋もれていた史実をとにかく掘り出してみよう。そして時代の変遷を客観的、公平な姿勢で捉えて行こう」。「どんな形にするか?年表だけでは無味乾燥だなあ、読み易いものにしないと目を通して貰えないだろう」。「写真などをふんだんに取り入れてビジュアルにした方がよい」。様々なことを話し合いながら、骨格を徐々に固めて行きました。

骨格が固まれば、次は資料の再吟味です。膨大な資料(『如水会々報』、植樹会旧資料)に目を通すことから始まりました。最近、目を使う読書が幾分億劫になってきていたのですが、この時ばかりは魅入られるように読み耽りました。太田可夫先生ゆかりの「思索の森」で、本を片手に散策しているような不思議な気分に陥っていたこともありました。

何と言っても37年もの歴史です。内容やエピソードが豊かで、表や裏で植樹会誕生の前から今日に至るまで、母校の植樹に、緑の保全を支えた方々のこと。その間の世相、大学側の変化。予定した限られた紙面内で如何にバランスよく関連記事を掲載するかに腐心しました。寄稿文や座談会形式の記事の思い切った圧縮には全員で当りましたが、「これでよいのだろうか?」とも随分悩みました。特に座談会の場では、熱弁や想いのこもったご発言が多くありました。話し言葉を文字化する際に避けて通れない難題もありました。僅か2ページの紙面に出席者の意図が収め切れたかどうか?今なお忸怩たるものがあります。行間には「緑の保全」にかける熱い想いが一杯詰まっていることをこの場で付言致します。

大学の図書館通いも触れないわけにはいきません。年表部分に使用する大学の最近の歴史を検証する目的で訪問しました。雰囲気、蔵書・資料の数々、原点を極めるという時にこのような良い図書館が緑のキャンパス内にあるのは素晴らしいことと感傷に浸ることしきりでした。

資料も十分に集められたかどうか?これまた疑問の残る所ではありますが、先ずは植樹会史第1版を世に送り出すことができました。今振り返ると困難な作業に集中して取組んだのは苦痛ではあったものの、一面楽しいひと時であったと思えます。

最後になりますが 大学、会員の皆様、如水会事務局の方々にはご協力頂き、本当にありがとうございました。